6代将軍「徳川家宣」は、在職年数が3年ということもあり、知名度はあまり高くありません。

でも実は、あることで「歴代徳川将軍ナンバー1」だったのです!

知られざる6代将軍家宣に関わる新事実を、まずは略歴からご紹介します。

6代将軍「徳川家宣」の短く謙虚な将軍生活

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後に6代目の江戸幕府将軍になる徳川家宣は、3代将軍徳川家光の孫として産まれました。

母親の身分が低かったため、幼いころは養子に出されていたそうです。

しかし4代将軍家綱、5代将軍綱吉と揃って子供に恵まれなかったため、家光の孫である家宣に将軍職がまわってきました。

その時家宣は48才でした。

家宣の治世はその次の家継の治世とともに「正徳の治」と呼ばれています。

その中心人物は、学者の新井白石でした。

(新井白石についてはこちらの記事を参照ください↓)

「新井白石の最大の功績「イタリア人宣教師シドッチとの対話」について深掘り!」

残念ながら家宣はそのたった3年後、インフルエンザが原因と思われる体調不良で亡くなってしまうので、将軍としての功績はあまり語り継がれていません。

しかし家宣を補佐して政治を行っていた新井白石は「鬼」と呼ばれるほどの気性の激しい人物

折れることを知らない新井白石は多くの幕臣から反感を買っていましたが、家宣はそんな新井白石の意見を立てて上手くやっていたようです。

将軍としての政治力は分かりかねますが、謙虚で心の広い人物であったのではないかと考えられます。

遺骨から推定される、歴代将軍ナンバー1の特徴

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さて、そんな風に語られることの少ない家宣にも、実は歴代徳川将軍ナンバー1を誇る点がありました。

それが、「身長の高さ」です。

過去に徳川将軍家の遺骨を調査した人類学者・鈴木尚(ひさし)氏によると、家宣は歴代将軍の中で最も身長の高い160cmだったと考えられています。

江戸時代の成人男性の平均身長が159cmなので、やや高いと言ったところでしょうか。

鈴木博士は顔の復元も行っており、家宣は細面で鼻筋の通った整った顔であったとも推定されています。

もしかしたら家宣は身長が最も高かっただけでなく、最もイケメンでもあったかもしれませんね。

ちなみに徳川将軍家は、家宣以降体格がどんどん貧弱になり、貴族的な風貌になっていったそう。

これらの調査結果は、「骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと」(東京大学出版)という本から参考にさせていただきました。

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