「水戸黄門」と言えば、テレビドラマの影響で「名君」「正義の味方」という印象です。

でも本当のところは?

ここでは、水戸黄門にまつわる常識の「ホントと嘘」について解説します!

ドラマ水戸黄門のホント!

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ドラマで出てくる「梅里」というサインは本当に使われていた!その意味は?

「水戸黄門」を観ていると、黄門様が書いたと思われる書類には必ず最後に「梅里」というサインが。

これは水戸黄門さまが好んで使っていたとされる「号」と呼ばれるものです。

「号」は「俳号」とも呼ばれ、俳句を詠むときのペンネームのようなもの。

大名の間ではよく知られていたので、「梅里」とあるだけで黄門様だと気付くことが出来るのです。

「天下の副将軍」と呼ばれていたのはホント!

格さん助さんが黄門様を紹介するとき必ず言うセリフが「天下の副将軍」というもの。

本当にそう呼ばれていたそうですが、実は水戸光圀公だけではなく水戸の藩主は代々そう呼ばれていたそうです。

この呼び方の由来は、水戸藩主が他の大名と違い「参勤交代をせずに江戸にとどまったから」と言われています。

ただし正式な役職ではなく、江戸にとどまり将軍の政務を補佐した立場から、水戸藩主を「天下の副将軍」と俗称していたのだとか。

ということは、水戸黄門さまは江戸住まいだったのでしょうか?

実は水戸黄門のモデルの光圀公が、歴代の水戸藩主の中で「水戸に滞在した期間が最も長い藩主」だったそうです。

むしろ水戸生まれは光圀公だけで、他の代々の水戸藩主はみんな江戸生まれだったのです。

ドラマ水戸黄門の嘘!

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名君として描かれているが、その実態は・・

水戸黄門様は弱い者の味方で、民のための政治をする人・・

というイメージがあります。

ドラマでは人助けに奔走してますし、民衆に尊敬されていますもんね。

でも実は、実際の光圀公は藩の財政を悪化させた暗君だったとの見方もあるのです。

その大きな原因は、「大日本史の編纂」や「蝦夷地の探検」に費用をあてたことです。

日本の歴史書を作るという点では偉業だった大日本史の編纂も民の暮らしを圧迫させ、出稼ぎのようなことをする農民も多かったようです。

反対に水戸黄門のドラマでは悪役として扱われる柳沢吉保。

柳沢吉保については、領民への善政が語り継がれており、賄賂をもらったり敵を陥れるというようなことをした記録は残っていません。

そもそもの前提破壊!光圀公はほとんど遠出をしなかった!?

さてここへ来てそもそもの前提を覆すような史実ですが、水戸光圀公はそもそも遠出などしなかったということが分かっています。

唯一遠くへ訪れたのは鎌倉くらい。

ただ隠居した後に領内を見て回ったということはあったようです。

大変話が膨らんでしまったのですね。

まとめ「水戸黄門」がこんなにも美化された理由

このように大変美化された印象の水戸黄門様。

その理由はなんだったのでしょうか?

史実によると、現代のドラマの原作となった「水戸黄門漫遊記」という講談話が出回ったのは幕末のころ。

一説によると、従来の決まりでは将軍に就くことが出来ない水戸藩出身の一橋慶喜(徳川慶喜)を将軍職につけるため、水戸藩主を英雄として扱った講談を流行らせたのではないかと言われています。

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