林子平は18世紀後半の学者で、日本が海外からの侵略に備えることの大切さを説いた人物です。
その著作には「三国通覧図説」「海国兵談」があり、現在ではその着眼点の鋭さが評価されています。
ところが当時は、幕府の政策を批判しているとして、国防に関する進言は全く受け入れられませんでした。
ここでは「三国通覧図説」と「海国兵談」で林子平が訴えたかったことや、それらに対する幕府の対応についてまとめました。
林子平の唱えた「国防の危機」
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「三国通覧図説」で説いた対ロシア政策
「三国通覧図説」は日本列島と隣接する三つの国について解説された書物です。
一見するとただの地図のように見えますが、ねらいは地形を記すことだけではありません。
林子平がこの本を書いたねらいは「日本がどのような国に囲まれているか」を人々に認識させることでした。
日本は当時「朝鮮、琉球、蝦夷」と隣接していますが、その向こうにはロシアや中国などの大国があります。
小さな隣接国が干渉となっていますが、これらの国が脅かされれば日本も危険になるのです。
特にロシアからの脅威については、当時の日本では認識されていませんでした。
そのため子平は、蝦夷地を開発しロシアに侵略させないことが、日本の安全のために大切だと説きます。
ところが当時の老中・松平定信はこれを幕府への批判ととり、せっかく田沼意次によって進められた蝦夷地の開発を中止してしまいました。
「海国兵談」で伝えたかった西洋の脅威
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また子平は、「海国兵談」という書物を書きました。
ここでは、当時の日本人が知らなかった西洋諸国の「植民地化政策」の恐ろしさを説いています。
遠く海を隔てていますが、それは全くの安心材料にはならず、「海でつながっているからこそ簡単に攻めてこられる」と強調しているのです。
この本は幕府を批判するものとして出版先が見つからなかったものの、子平は自らの手で版木を作ってまで本を出しました。
老中・松平定信はその版木を押収し、子平も処罰されますが、子平の危機感に同調して人々によって写本され、世の中に広まることとなります。
当時の状況から考えさせられること
子平が必死になって訴えた「国防の大切さ」ですが、幕政には届かず、本の出版が止められたばかりか蘭学などの西洋の学問を学ぶことまで禁止になってしまいます。
しかしすぐに、
アメリカの商館が日本近海に現れた「モリソン号」事件
オランダ国籍と偽り長崎へ寄港したイギリス艦「フェートン号事件」
が起こり、国防に対する幕府の認識の甘さが浮き彫りになりました。
「鎖国してるから海外は関係ない」
と言う松平定信のスタンスは、甘かったようです。
☆☆☆
当時の幕府の国防に関する対応を見ると、現在の日本の国防についても思いを馳せてしまいます。
現在の日本は、大丈夫でしょうか?
今も私たちは国防について甘い認識を持っているような気がしてしまいます。
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