坂本龍馬とは幕末の土佐藩士で、明治維新をけん引した人物の一人です。
常識や固定観念に囚われない自由な発想で「薩長同盟」や「大政奉還」などの偉業を達成しました。
では龍馬がこれらの偉業を成し遂げられた秘密は?
それは龍馬の「鈍感力」にあります。
ここでは、龍馬の類まれな鈍感力が分かるエピソードをお伝えします!
「鈍感力」とは?
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「鈍感力」とは、作家の渡辺淳一さんが著書の中で提唱した、生きるために必要な力の一つです。
ミスや失敗、誰かからの批判を恐れない。
人の目を気にしたり、罪悪感に脅かされない。
人からの評価にしばられた行動をしない。
これらが、「鈍感力」の高い人物の行動と言えます。
この鈍感力は、大きな仕事をするためには欠かせない力なのです。
(そうでないと、いちいち批判されては挫けたくなってしまいます)
龍馬の鈍感力を伝えるエピソード
泣き虫・寝小便たれの幼少期
坂本龍馬の幼少期と言えば、泣き虫・弱虫・寝小便たれ・・で有名です。
およそ武士の子らしく無かったことでしょう。
龍馬の生涯を描いた漫画や小説などでも、「お前はダメだ」「どうしようもない」と言われ、バカにされている様子が描かれています。
でもだからこそ、龍馬の中で「鈍感力」が育ったと言えます。
「普通でない、人並みでない自分を受け入れ、あくまで自分らしく。」
それを貫くのはかなり大変なことです。
龍馬だって自分を嫌になりそうな時はきっとたくさんあったと思いますが、そんな自分を見放さないことで「批判や評価を気にしない力=鈍感力」を身に付けていったのですね。
次男坊で剣術修行に行くも、道場を開かず脱藩
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また龍馬は、成長して剣術に長けるようになります。
裕福だった実家にお金を出してもらい、江戸へ修行に行くほどになりました。
龍馬は次男坊だったので、龍馬の父や兄は龍馬の手に職をつけたかったのです。
その甲斐あって、名門・北辰一刀流で免許皆伝にまでなります。
ところが・・
江戸で新しい世界を知った龍馬は、道場を開くことなく脱藩までしてしまいます。
これは例えば現代の出来事で置き換えると
「この子は優秀だから」と言ってハーバードへ留学させてもらってもらったのに、家へ帰ってきたら就職せずに放浪の旅へ出てしまう・・
といったようなもの。
世間体や親の意見を気にしてたら(鈍感力が低かったら=敏感だったら)なかなか出来ることではありません。
婚約者と勘違いさせておきながら・・出会った他の女性と結婚
また龍馬は、江戸で剣術修行に行った時に出会った千葉さな子(北辰一刀流千葉道場、道場主の娘)という女性に「婚約した」と勘違いさせてしまいます。
勘違いの原因は「龍馬がさな子へ着物の片袖を送った」ことと言われていますが・・
(この片袖は、千葉家から龍馬へ送ったものの形見、という説もあります)
実際に龍馬が結婚したのはさな子ではなく「おりょう」という京都で出会った女性。
さな子は龍馬の婚約者として一生を終えることになります。
女性目線では許しがたい龍馬の行為ですが、鈍感力が発揮されたのは言うまでもありません。
龍馬の活躍は「鈍感」だったからこそ!あなたも鈍感になれるか!?
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ここまで、龍馬がいかに常識や他人の評価・他人の目にふりまわされずに生きてきたかを説明してきました。
普通の人は、進学や就職などの大きな決断だけでなく、日常的なことでも自分の心に従うことは難しいもの。
例えば「何を言うか?」「何を食べるか?」「何を着るか?」だって、
嫌われないかな?
栄養は?
年相応かな?
と、常識や他人の目に敏感です。
そう思うと、龍馬の偉業はまさに「龍馬だから」こそ。
私たちも、龍馬のような偉業を成し遂げたかったら、まずは些細なことから「鈍感力」を磨いていくといいかもしれません!