幕末の薩摩藩のリーダーとして活躍した「大久保利通」は、同じく薩摩藩士の西郷隆盛と対照的な人物でした。

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「西郷どん」てどんな人?西郷隆盛の人物像を歴史的事実から考察!

この記事では、大久保利通の性格や人間性が分かるエピソードをお伝えします。

組織で出世したい人は、彼の行動から学ぶといいかもしれません!

大久保利通の性格を作ったバックグラウンド

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大久保利通の性格を端的に表現すると、以下の点にまとめられるでしょう。

それは、

目的達成のためには手段を選ばず、粘り強く決してあきらめない

という点です。

一言でいえば「ハングリー」。

そんな大久保利通の性格は、彼の育った環境に起因しています。

下級藩士だった父の利世は、「お由羅騒動」(嘉永朋党事件とも言われる、島津家の後継者を争ったお家騒動)で流刑の罰を受けました。

当時20歳前後の利通も連座して免職となり、無念のままに貧苦にあえぐことになります。

そうした利通の悔しい経験が、「何がなんでも信じたことは実現する」というハングリーさを育てていくことになるのです。

大久保利通の性格がよく分かるエピソード

藩主・久光へ計画的に接近

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利通は処罰から復職すると、まず攘夷派の下級士族を集めて「精忠組」を作り、存在をアピールし始めます。

そして藩主の久光に近づくために、久光の囲碁相手である吉祥院の住職と親しくなり、久光に取り入ることに成功しました。

その後は久光のすすめる公武合体運動に尽力し、久光の信頼を勝ち取ります。

「トップの目にどう留まるか」

「そのハートをいかに掴みつづけるか」

利通は考え抜いて実行したのでしょう。

目的を貫くために幕府にも強気を貫く

また長州と同盟を結んだ薩摩藩は、第二次長州戦争への出兵を幕府へ断る必要がありました。

その役目を負ったのが大久保利通です。

幕府を相手に、同盟を隠しながら長州への出兵を断るのは至難の業。

それを、ふてぶてしい態度で時には食って掛かっては、幕府を煙にまいて不参戦の意思を貫いたのでした。

何が何でも倒幕を実現するために、クーデターを実行

倒幕に向けて運動していた薩摩藩・長州藩は、徳川慶喜が「大政奉還」を行ったことで機先を制せられます。

慶喜が政権を天皇へ返還したことで、倒幕の理由を失ってしまったのです。

しかし利通は、討幕派の公家の岩倉具視らと共にクーデター「王政復古の大号令」を実行し、慶徳川家からすべての権力を奪いました。

まとめ

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大久保利通は、目標を明確に描き、常に先を読んで計算して動くタイプの人間だったようです。

そして「ここぞ」という時は脅したりといった強硬な姿勢もとれる。

まさに「敵にしたら恐いタイプ」の方ですね。

そんな出来すぎる所が災いしてか、明治新政府で活躍中に、紀尾井坂で暗殺されて生涯を終えています。