遊女や娼婦は「世界最古の職業」とも考えられているのだとか。

確かに、キリスト教の福音書にもこれらの職業の女性が登場しますもんね。

では、日本ではいつ頃からこれらの職業が登場したのでしょうか?

この記事では、日本における遊女の歴史について分かりやすくまとめてみました!

日本における遊女の誕生

世界の「遊女の歴史」

先にも書いた通り、性を売ることを職業とした女性はキリスト教の福音書に登場するほど長い歴史を持ちます。

私が調べたところ最も古い娼婦の記録は紀元前3,000年前のもの。

古代メソポタミア文明でのことです。

メソポタミア文明では娼婦を「神聖な職業」とも考えていて、宗教的な儀式にも登場することがあったようです。

日本での誕生は平安時代

日本では古代より性について奔放だったものの、職業としての遊女は存在していませんでした。

職業として出現したのは平安時代のころ。

白拍子(歌に合わせて舞をまう男装の芸人)・傀儡子(人形を使った芸能を行う芸人)といった芸能女性が職業の内容を変化させていきました。

「遊女」の発展と「芸者」の誕生

平安時代に誕生したばかりの遊女の職業は、芸能的な側面が強いものでした。

しかし近世(室町幕府後期ごろから)に入ると各地に遊女街・遊郭が誕生し、芸能中心だった遊女の形が変化。

二分化していきます。

性を売る職業に特化した女性を特に「遊女」と呼び、芸能を専門にした女性を「芸者」と呼ぶようになりました。

江戸の遊郭「吉原」の登場

徳川家康が征夷大将軍となり江戸に幕府を開くと、江戸の男性人口は急激に多くなります。

それに伴い江戸各地に遊女屋が造られるようになりました。

ところがこの遊女屋の乱立は、江戸の町に治安や風紀の乱れを引き起こしてしまいます。

これを問題視した遊女屋の主人たちが、遊女屋を江戸の一角にまとめて外界と遮断した空間を作ることを提案したのです。

こうして作られた遊女街が「吉原遊郭」と呼ばれるもの。

遊女屋主人たちは数年がかりで、この吉原遊郭を誕生させました。

吉原遊郭での厳しいきまり

吉原では江戸の治安の維持や風紀の乱れを防ぐために厳しいきまりが存在していました。

簡単にまとめると

・連泊の禁止

・騙されての身売り禁止

・犯罪者のかくまい禁止

・吉原以外での営業禁止

・遊女の生活は質素に

・営業は日中に限ること(※後に夜間の営業も許可されるようになる)

といったもの。

吉原は退廃した空間のイメージでしたが、こうしたきまりによって秩序が維持されていたようです。