大奥で将軍の息子を産むことが女性最大の玉の輿だった江戸時代。

実際にその玉の輿に乗ったシンデレラがいました!

この記事では、そんな庶民から将軍の生母になって玉の輿にのった2人の女性のシンデレラストーリーをご紹介します。

八百屋の娘から将軍の生母になった「お玉の方」

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庶民から将軍の生母になった女性と言って真っ先に挙げられるのが、3代家光の側室になった「お玉の方」です。

お玉の方は、第3代将軍・徳川家光の側室になり、第5代の将軍となる徳川綱吉を産みました。

そんなお玉の方は、そもそも八百屋の娘だったと言われています。

お玉が母とともに仁和寺にお参りした時、お玉の姿を見た僧侶が「ものすごい出世の顔相だ」と言ったという逸話が残されています。

その後お玉は、家光の妾になった女性のお付きとして大奥へ。

大奥で仕えるうちに家光に見初められ、側室となり男子を産みました。

男子は成長して第5代将軍綱吉となり、お玉の方の実家の兄弟や一族まで取り立てられました。

偶然大奥へ遊びに来て将軍の生母になった「お美津の方」

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もう一人、強い幸運で将軍の生母となった女性に「お美津の方」がいます。

お美津の方は第12代将軍・徳川家慶の側室で、13代将軍・家定の生母になりました。

お美津が将軍の側室になったのは本当に偶然のこと。

姉が働く大奥へ遊びに来たことがきっかけでした。

ちょうどお美津が大奥へ遊びに来た日が、将軍の側室候補を決める日でしたが、3人名乗り出た候補のうち1人が現れません。

そこで急遽代理候補として立てられたのがお美津でした。

お美津は代理として側室候補の面談に出ましたが、その様子を家慶本人が襖の影から見ていました。

そしてお美津を気に入り、側室として採用されたのでした。

☆☆☆

どちらの女性も偶然大奥へ来て、偶然側室になってしまったという強運の持ち主。

というより、すごい美貌の持ち主だったのでしょうね!

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