江戸時代の遊女たちの風習には独特で不思議なものがいっぱい。
例えば、遊女の世界で使われ、現代にも残っている「お花代」という言葉。
現代とは全く違うその意味は?
その他、ここでは遊女にまつわる3つのトリビアをお伝えします。
トリビア1.遊女の売り上げを「水揚げ」と呼ぶのは
江戸の遊女街・吉原では、訪れた客をまとめた客帳のことを「入船帳」、遊女たちが売り上げをまとめたものを「水揚帳」と呼びました。
このように遊女たちの世界で売り上げに関わることを「船での商売」に例えるのは、江戸時代の商取引がもっぱら海路によっていたから。
船での商売では、「入船」とは取引の繁盛、その入荷を「水揚げ」と呼びますが、吉原では客が船で遊女に支払われたお金が水揚げだったのです。
トリビア2.現代とは違う、遊女の世界での「お花代」の意味は
現代では「お花代」と言えば葬儀に参列する時に包むお金のこと。
これはその名の通り、祭壇に供えるお花用にあてるために使われます。
ところが遊女の世界で使われたお金も「お花代」と呼ばれましたが、これはお花を買うためのお金ではありません。
ここでは「お花代」とは遊女の揚代(遊女に支払う代金)のこと。
そう呼ぶようになったのには由来があり、平家の没落までさかのぼります。
その昔、下関・赤間の遊女はもともと没落した平家の官女たちで、生計を立てるために街に出て花売りになりました。
ところがそのうちに売色もするように。
そこで花代だけでなく売色代も「お花代」と呼ばれるようになったのです。
トリビア3.遊女たちがした「除草」とは
江戸時代の遊女たちは、「除草」をするのが一般的でした。
除草と言っても草取りをすることではなく、下の毛を処理をすることを意味します。
除草の方法には様々ありますが、一番一般的な方法は小石で擦り合わせて擦切るというもの。
江戸の風呂屋にはこのための石が必ず置かれていたといいます。
その他には塩・灰汁・糠でみがく、紙燭・線香で焼き切る、後年には鋏が使われました。