江戸時代の京都で栄えた遊女街「島原遊郭」。
ここでの遊女たちの格付けや、それぞれの遊女たちと遊ぶためにかかる代金について、一挙にまとめてみました。
(元禄・正徳(1700年ごろ)の、島原全盛期の記録です)
島原遊女の最高ランク「太夫」
島原の遊女の中で最高位に格付けされたものを「太夫」と呼びました。
またの名を「松の位」とも言います。
太夫の座につくには容姿が美しいだけでなく、能などの芸事にも長けている必要がありました。
太夫と遊ぶのにかかる料金
太夫を呼ぶために必要な料金は元禄14年(1701年)ごろで一般的に銀76匁。
銀一匁は今の通貨価値で1300円程なので、銀76匁とはおよそ十万円ほどになります。
しかしそれだけのお金ではもちろん人気の太夫は呼ぶことは出来ません。
先客と遊んでいる太夫を呼ぶには「もらい代」といって余分に24匁払う必要がありました。
島原に太夫は何人くらい?
この最高ランクの太夫は、1700年に島原で格付けされている遊女300人ほどのうち十数名しか存在しませんでした。
太夫に次ぐランク「天神」
島原で太夫に次ぐランクの遊女は「天神」と呼ばれました。
この名の由来は、彼女たちと遊ぶために必要な料金が、北野天神の御縁日の日と同じ25匁だったから。
またの名を「梅の位」とも呼びます。
しかしその後値上がりして、33匁ほどになりました。
太夫たちの半額以下の料金で遊べるということです。
天神の人数は?
天神は太夫の約5倍ほどの人数いたと言われており、格付けされている遊女300人のうち50~60人ほどでした。
この天神の中から、後の太夫が選ばれました。
太夫や天神に比べて劣る「鹿恋(かこい)」
「鹿恋」は「囲い」とも書き、太夫や天神に比べて劣る一般的な遊女を指しました。
鹿恋の料金は?
鹿恋と遊ぶための料金は20匁と言われています。
太夫のもらい代ほどの金額で遊ぶことが出来たのです。
鹿恋の人数は?
鹿恋の人数は天神と変わらず、遊女300人のうち50~60人ほどでした。
店の端まで出て商売をする「端女郎」
最後に、太夫や天神と違い、店の端まで出て商売をする女郎のことを端女郎と言いました。
この端女郎にはお付きの見習い幼女たちもつけられず、時間をずらして掛け持ちで仕事をしました。
端女郎の料金は?
端女郎と遊ぶための料金は時間帯によって異なっており、高い時間帯では20匁から15匁。
安い時間帯では8匁から9匁ほどでした。
端女郎の人数は?
端女郎は全体のうちで最も多く、300人のうち180~200人ほどをしめていました。
人気のあるものだけが、時に天神や太夫になることが出来ました。
☆☆☆
この他に、遊女たちのお付きの女性たちや三味線を弾くもの、端女郎よりもさらに廉価な女郎たちもいて、島原の総人口は全盛期で1800人ほどいました。
(参考文献 有志舎「遊女の社会史」)