「陰陽師」と言えば呪術を使う霊能者のようなイメージ。

ですが、このイメージは陰陽師が活躍した平安時代においては、少し異なっていたようです。

この記事では、平安時代における陰陽師の役割について調べてみました!

官僚としての陰陽師

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平安時代、陰陽師はなんと、れっきとした官職でした。

「陰陽寮」という官司に所属し、重要な役割を与えられていました。

それは陰陽師という言葉からイメージするような「呪い」「祈祷」だけではなく

国家的な災厄に関する吉凶判断

土地に関する吉凶判断

暦の作成

天体観測・気象観測

時刻の計測

など。

どちらかと言えば今でいう「科学者」のような役割が多いですね。

「霊能者」というイメージとは正反対なような気がします!

ちなみに平安時代の陰陽師として有名な「安倍晴明」は、このうち天体観測や気象観測を専門に行う「天文博士」でした。

このような官僚陰陽師は、常に20名ほど存在していたと言います。

また官職についていたため、彼らには位階もちゃんとありました。

「呪い」を専門とした民間陰陽師

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とはいえ、私たちのイメージ通り、「式神」を使って相手を呪うことを専門にした陰陽師も、平安時代にはたくさんいたようです。

それらは「法師陰陽師」と呼ばれ、僧侶のような恰好をして、人々から呪詛の依頼を受けていました。

このような陰陽師は、平安京に100名以上いたのではと考えられています。

平安時代は「呪詛」の時代

法師陰陽師が官僚陰陽師の数をしのぐほど平安京に存在したのには、理由があります。

それは、平安時代は「呪い」が大きな力を持った時代だということです。

戦国時代など、武力に頼る武士の時代には、権力を奪おうとするものは力で相手をねじ伏せました。

ところが貴族が社会の中心だった平安時代は、人々は血を流すのを嫌ったため、「呪い」という目に見えない力によって権力を奪おうとしたのです。

実際に、法師陰陽師が貴族から依頼されて、政敵を呪詛した事件の記録も残されています(「小右記」「小記目録」など)。

そればかりか、呪詛の疑いで捕まった法師陰陽師の取り調べの記録も、克明に残されているのです(「僧円能等を勘問せる日記」)。

こうしてかけられた呪詛を破ることも、官僚陰陽師の役割の一つでした。

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