明治になって出現し、戦後の憲法改正まで皇族に次ぐ高貴な身分とされた「華族」。
しかしその華族の中にも階級があり、出自によって身分の上下が分かれていました。
ここではそんな「華族の階級」について、分かりやすくまとめてみました。
「旧」華族と「新」華族の違い
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日本に華族が出現したのは1869年のこと。
それまでの「公卿」などの名称を廃止して「華族」と改称することになりました。
そんな華族には二種類があり、「旧華族」と「新華族」に分類することが出来ます。
「旧華族」とは、明治維新まで「公家」や「大名」と呼ばれた人々のこと。
明治維新により「士農工商」の身分制度が解消された後に「華族」と名付けられた人々でした。
一方「新華族」とは明治維新の功労によって格上げで華族になった人々を指します。
圧倒的に薩摩藩・長州藩の出身者が多かったようです。
しかし同じ華族とは言え、旧華族の人々は新華族の人々を「成り上がり」として見下していました。
華族の爵位「公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵」
また華族が爵位によって階級分けされたのは1884年のこと。
この年に「華族令」が出され、華族は
公爵
侯爵
伯爵
子爵
男爵
の順にランク付けされるようになりました。
華族はどのようにランク分けされたのか
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では華族たちは、どのようにランク分けされたのでしょうか?
華族たちはもともとの身分の高さによって、公爵から男爵までの階級に分類されたのです。
元公卿の場合
元々公卿だった人々の場合は、「摂家」「清華家」「大納言まで昇進したことが多い家柄」「大政奉還以前からの家柄」に分類されました。
(ちなみに「摂家」や「清華家」とは公家の中でも特に家柄の高かった名家を指します。)
これらの分類に応じて、それぞれを公爵、侯爵、伯爵、子爵としました。
徳川家や元大名の場合
徳川家の場合は、宗家、御三家、御三卿がそれぞれ公爵、侯爵、伯爵となりました。
また元大名の場合はその石高に応じて三分類され、上から侯爵、伯爵、子爵とされました。
明治維新の功労者の場合
明治維新の功労者の場合、その功の高さによって爵位が与えられました。
特に明治政府の中枢に関わった人々は元々の身分が低くても、初めから高い爵位が与えられ、ランクアップも頻繁に行われたようです。
例えば伊藤博文は、華族令によって伯爵となって最後には公爵まで上り詰めています。
彼は下級武士の出身でしたが、徳川宗家と肩を並べるほどの大出世をしたのです。
☆☆☆
伊藤博文とは対照的に、明治維新の功労者であっても爵位が与えられないものもたくさんいたといいます。
彼らはそれがきっかけで、明治政府に不満を抱くようになります。
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