京都にある「鉄輪(かなわ)の井戸」は縁切りの井戸として有名です。

その由来となった物語は平安時代までさかのぼり、嫉妬に身をやつした一人の女性が登場します。

この記事ではそんな、「鉄輪の井戸の由来となった恐ろしくも哀しい女性の物語」について、簡単にまとめてみました。

主人公は、夫の心変わりに苦しむ妻

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平安時代の下京に、一組の夫婦が住んでいました。

妻は美しかったものの、嫉妬深く、夫を激しく束縛する女性でした。

夫の帰宅が少しでも遅いと怒り狂い、手がつけられません。

そんな妻といて心が休まらない夫は、次第に他の女性に心が惹かれるようになっていきました。

それを知った妻は、当然ながら嫉妬に怒り狂います。

そして当時流行していた、「丑の刻参り」を発願してしまうのです。

貴族女性に流行していた「丑の刻参り」とは

「丑の刻参り」とは、夜中の午前二時に白装束で蝋燭を縛り付けた鉄輪を逆さにかぶり、呪う相手の死を願いながら藁人形に五寸釘を打ち付ける呪いの行為です。

この呪いは、貴船の山奥で行われました。

平安時代の貴族女性たちの間で流行したと言われています。

陰陽師に呪いを妨げられ、井戸に身を投げる

夜ごと妻がかける呪いに、次第に体調が悪くなった夫。

不審に思った夫は、陰陽師の安倍晴明に相談を持ち掛けます。

晴明はすぐにその男性の妻が呪いをかけていることを見破り、呪詛からの防御の祈祷を行い始めました。

夫の枕元には、夫と愛人の命を奪おうとする妻の生霊が現れますが、陰陽師の守護により手が出せません。

「殺したい」という怒りの行き場を失くした妻は、とうとう側にあった井戸に自ら身を投げてしまうのです。

「鉄輪の井戸」は身を投げた妻を不憫に思い、祀った場所

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嫉妬のあまり自らを殺してしてしまった妻。

呪いという行為は行き過ぎていましたが、妻もまた哀しい女性でした。

近所の人々がその妻を不憫に思い、井戸の側に祠を建てて祀ったのが、現在の「鉄輪の井戸」です。

不実な夫に執着するのではなく、吹っ切ることが出来ていたのなら、どんなに良かったでしょうか。

現在、鉄輪の井戸は「その井戸水を飲ませるとその人物と縁切りできる」と言われています(ただし井戸水の持ち帰りや飲用は禁止されている)。

しかし井戸の水を飲ませなくても、「自分が縁切りしたい相手に執着している」と気付くことが、まずは縁切りへの第一歩ではないでしょうか。

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