「軍師」とは「合戦で軍を指揮したり、将軍の戦略指揮を助ける人」を指します。

日本の戦国時代で有名な軍師と言えば、黒田官兵衛、竹中半兵衛などが挙げられるかもしれません。

でも実は、そもそも「日本の戦国時代に軍師がいた」ということが勘違い。

「軍師」という役割名称は当時存在しなかったのです。

しかしながら、「将軍へ戦い方を助言する人」はいました。

しかしその人を仮に軍師だとしても、その役割はとんでもなく想像を超えたものだったのです。

日本の戦国時代、「軍師」は「軍略家」ではなかった

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日本の「軍師」が得意としたこと

先にも書いた通り、日本の戦国時代には「軍師」という役割名称を与えられた人物はいませんでした。

ただし「軍師」の定義を「将軍の指揮に助言する人」というように変えれば、それに当たる役割の人は存在します。

でも「どのように助言するか」が、想像上の軍師と大きく異なる点。

私たちのイメージの中では、軍師は兵法や戦法をマスターして地形を考慮しながら戦い方を考えますよね。

でも戦国時代の軍師がマスターしていたのは、易学や天文学・気象学、陰陽道や宗教など

これらの知識をもとに出陣の場所や日時・方角などを考え、取り決めるのが軍師の役割だったのです。

軍師が担った「宗教的」役割

兵法や軍略に長けた軍師は「理論的」というイメージがありましたが、戦国時代の軍師は反対で「理論で語れない領域」を担当していたのですね。

(天文学や気象学に基づいた天気の予測は理論的ですが)

合戦では宗教面での責任を負っていたといいます。

主な役割は、「一番首の血祭り」や「首実検」

これらは現代に制作されたドラマなどでは説明されていませんが、実は軍師に任された宗教的な儀式だったのです。

「血祭りにあげる」の語源となった「血祭り」の儀式

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「血祭りにあげる」という言葉は、今では「相手をひどい目にあわせる例え」として使われています。

でももともとは、「血祭り」という戦場での儀式を指しました。

この「血祭り」の儀式は「戦いで最初に殺した敵を軍神に捧げる」もので、味方の士気を高めるために行われました。

「首実検」は単なる自己満や証拠のためではない

現代で「首実検」といえば、「確かにその人物の首をとった」ということの証しとして捉えられています。

でも当時は「弔い」の儀式をさし、これも軍師の仕事となっていました。

その弔い方はとってきた首の主の立場によって異なり、首を置く台の形状や材質、板の厚さまで決まりがあったといいます。

宗教的な知識が豊富な軍師にのみ出来た儀式でした。

黒田官兵衛、竹中半兵衛は軍師というより「スパイ」?

このように宗教色の濃かった戦国時代の軍師。

「軍師」として現代でも人気の黒田官兵衛や竹中半兵衛のイメージからはかけ離れていますよね。

黒田官兵衛や竹中半兵衛の役割は、軍師というよりスパイのイメージの方が近いように思えます。

というのは、彼らが得意としたのは敵方の家臣を寝返らせたりするなど、「戦いなくして勝つための戦略を考えること」だったからです。

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