古事記や日本書紀に名前が残されている「武内宿禰(たけうちのすくね)」という人物。
彼は人間でありながら244年にもわたって天皇に仕え、300歳近くまで生きたと言います。
この謎の超・長寿「武内宿禰」という人物にまつわる謎について調べてみました!
記紀で語り継がれる「武内宿禰(たけうちのすくね)」
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まずは古事記、日本書紀で武内宿禰がどのように語り継がれているかを確認してみましょう。
武内宿禰の出自は?
古事記では、武内宿禰は孝元天皇の孫。
日本書紀では孝元天皇の曾孫だと説明されています。
(孝元天皇は、紀元前214年から紀元前158年のころの天皇)
また出生地は紀国(現在の和歌山県、三重県南部)だと言われています。
武内宿禰の功績
武内宿禰は244年にわたり多くの天皇に仕え、数多くの功績を残しました。
・はじめて仕えた天皇は、日本書紀によると景行天皇(在位 西暦71年から130年)
古事記ではその次の成務天皇(在位 西暦131年から190年)
・神功皇后に仕えた際には新羅を征伐
・同じく神功皇后の治世に、香坂(かごさか)と忍熊(おしくま)の二皇子(神功皇后の子・応神天皇の異母兄弟)を追討
・応神天皇の即位を補佐
・最後に仕えたのは仁徳天皇(在位西暦313年から399年)
とにかく長命の天皇より長生き!
そして代々の天皇からは篤く信頼されていたようです。
多くの名門氏族の始祖
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また武内宿禰は七人の男子を残したと言われていて、それぞれが後の有力氏族の始祖になったと言われています。
その中には有名なあの「蘇我氏」の名前もあります。
他には波多、巨勢、平群、葛城、紀などがあたるそうです。
「武内宿禰」は架空の人物?
このように長年にわたり天皇に仕え、あり得ないほどの長寿だった武内宿禰。
当然のことながら
「これが本当の話しであるわけない」
と考える方が一般的です。
つまり「武内宿禰は架空の人物」と考える説が有力なのですが、一方で「武内宿禰という人間が存在していた」という説もあるのです。
武内宿禰は実在した!?
「武内宿禰が実在した」と言われてもにわかには信じられませんが、納得できる現実的な説を披露した人物がいます。
それは荻生徂徠。
江戸時代中期の学者です。
荻生徂徠は、
「武内宿禰という名前は世襲制である」
という説を考えだしました。
確かに、世襲制なら同じ名前の人物が長きにわたり存在しても、不思議ではありません!
いまの歌舞伎役者だって、江戸時代から同じ名前を受け継いでますもんね。
それでもそもそも、初期のころの天皇がこれまた不自然なくらい長寿である謎は残るばかり・・
まぁ、それはそれですね!
そんな武内宿禰の最期は・・
そんな超人的長寿の武内宿禰は、どのような最期を遂げたのでしょうか?
実は記紀では明らかにされていません。
その他の歴史書でも「行方不明になった」というばかり。
そのため室町時代には「まだ宿禰は生きている」という説まで飛び出したそうです。
一方で「宿禰の墓」と言われている古墳も存在します。
それが奈良市にある「宮山古墳」。
実際に誰が葬られたかは分かっていませんが、5世紀ごろに作られた巨大な前方後円墳だそうです。
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