あまり知られていませんが、世界で初めて人力飛行に成功したのは、なんと江戸時代の日本人・浮田幸吉という人物でした。

そこでこの記事では、そんな知られざる偉人「浮田幸吉」という人物の生涯について、分かりやすくまとめてみました!

初めて空を飛んだ人間「浮田幸吉」の生涯

幼い頃から器用だった幸吉

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浮田幸吉は、1757年に現在の岡山県にあたる備前の国で生まれました。

ところが幼い頃に父親が亡くなり、近所の傘屋に預けられて育つことになります。

器用だった幸吉はみるみる内に傘づくりの技術を身につけ、預けられた傘屋は町中の評判になったといいます。

また成長してからは、表具屋として武家の屋敷に行き、襖や壁紙を貼る仕事を始めます。

そこでも評判の表具師となりましたが、傘づくりと襖はりとは何とも飛行機づくりに役立ちそうな技能です。

幼い頃から偶然に、飛行機開発の素地が出来上がっていったのですね。

鳩を見て飛行機づくりを思い立つ

そんな風に表具屋として活躍していたある日、幸吉は寺で鳩を見て、

「鳩の翼を模倣すれば人間でも空を飛べるのではないか」

と思ったそう。

そこから研究を初め、鳩の重さ、体型、翼の形を自分の体に合うように設計を始めました。

ケガや失敗を乗り越えて28才の若さで飛行に成功

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翼を設計した幸吉でも、最初に飛行を試みた時には失敗に終わります。

神社の階段から駆け下りて飛ぼうとしましたが、翼が壊れて幸吉自身も左足を骨折してしまいました。

しかしその失敗からさらに改善点をあぶりだし、

柿渋を塗って翼の強度を上げる

尾翼を追加する

なるべく高いところから飛ぶ

という改良を加えました。

改良の結果、1785年8月21日、幸吉が28才の時に岡山城下にて飛行時間約10秒、距離約30メートルの飛行に成功します。

ところがなんと、この行為が人々を怖がらせたという罪で、藩からの追放という処分を受けることになってしまいました。

さらに50才で再飛行に成功

このように藩を追放されるという憂き目にあった幸吉ですが、飛行への熱意は厚く、移住先の駿府にて50才の時に再飛行を試みます。

その際は歯車や滑車などの時計の構造を活かして翼を調整できるようにしたり、地上から糸で引っ張って凧のように飛び立つ工夫も取り入れました。

(まるで現代のグライダーにも通じる工夫ですね。グライダーも、ウインチを使って凧のように空へ上昇させています。)

ところが今回も藩からの追放処分を受けてしまいました。

飯屋として生涯を終えた幸吉。もし日本人で無かったら・・

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せっかくの功績も評価されるどころか藩から追放されるという処分を下された浮田幸吉。

世界初の人力飛行という快挙にも関わらず、日本ではあまりにその功績が知られていません。

(日本史でも習った記憶がありません。)

駿府を追放されてからは、飯屋をして91才でこの世を去ったと言われています。

これがもし欧米でのことだったら、きっと世界に名を遺す偉人になっていたのではないでしょうか。

(参考図書:「江戸時代のハイテク・イノベーター列伝」NPO法人テクノ未来塾)