江戸時代、日本は世界一の識字率を誇っていましたが、それを実現したのが充実した教育機関でした。

この記事では、そんな江戸時代の教育機関である

藩校

寺子屋

私塾

について、それぞれの特徴や違いを分かりやすく解説します!

武士階級の教育機関「藩校」

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「藩校」とは、江戸時代の支配階級「武士」たちのための教育機関として運営された学校です。

1686年に岡山藩でつくられた閑谷(しずたに)学校に始まり、1871年(明治4年)までに日本全国に255校存在しました。

藩校の教育対象年齢は、6~7歳から20歳ごろまで。

入学金は基本的に無料でした。

武士としての人格形成や教養、政策実施の能力を磨くなど、帝王学のようなものを学びました。

代表的な「藩校」

岡山藩の「閑谷(しずたに)学校」

先にも書いたとおり、全国で初めて創設された藩校。

当時の藩主・池田光政が創始者です。

当時の建物は現在まで遺されていて、国の指定文化財になっています。

水戸藩の「弘道館」

1841年に水戸藩主・徳川斉昭によって創設されました。

水戸流の尊王攘夷思想の中心となりました。

庶民のための教育機関「寺子屋」

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一方、武士以外の階級の庶民のための教育機関として誕生したのが「寺子屋」です。

寺子屋は、8代将軍徳川吉宗が奨励したことをきっかけに急増し、幕末までには一村に一校以上存在するほどの盛況ぶりでした。

教育対象年齢は、藩校と同じく6~7歳ごろから通い出し、4~5年で卒業。

入学金や授業料は師匠によって異なるのが一般的で、家柄によって金額が変わったり野菜や米など現物で支払うこともありました。

授業内容は主に、暮らしに役立つ読み書きそろばんや礼儀作法、裁縫などの技術でした。

現在の大学に似た「私塾」

その他の教育機関として、現在の大学レベルの教育を行った「私塾」というものがありました。

私塾にはさまざまなバリエーションがあり、漢学・洋学・算学・国学・武芸など、江戸時代後期から幕末にかけて急増しました。

入学金や授業料は先生によって異なり、安くは「大豆一升」から高くは現在の金額で20万円ほど必要となった場合もありました。

有名な「私塾」

吉田松陰の「松下村塾」

1855年に吉田松陰が叔父の玉木文之進から受け継ぐ。

長州藩 尊王攘夷討幕派の拠点となり、高杉晋作・伊藤博文・久坂玄瑞などを輩出しました。

緒方洪庵の「適塾」

1838年に蘭学医の緒方洪庵が大坂で開塾しました。

25年に渡って、西洋の知識を延べ600人に教え、その門下生には福沢諭吉や大村益次郎がいました。

「番外編」幕府直轄の「昌平坂学問所」

最後に、例外として幕府直轄の「昌平坂学問所」を挙げます。

もともと幕臣子弟のための教育機関として誕生しましたが、1793年に老中の松平定信により広く門戸が開かれることに。

武士階級に限らず、百姓や町民などにも聴講が許されるようになりました。

☆☆☆

このように充実した教育機関が、明治期の大改革でも国民の混乱を最小限に。

短期間での近代化に貢献したと言われています。

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