今より寿命の短い江戸時代、女性は30才になると「女としての役割を終えた」とみなされました。

その考えをもとに作られたのが、大奥の「御褥御免(おしとねごめん)」という慣習。

でも本当に、30才の女性は女として期限切れなのでしょうか?

この記事では「将軍の子供の死亡率」というデータを使って、その説に異議を唱えます。

30才になると夜の関係を卒業する「御褥御免(おしとねごめん)」

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江戸時代には「30才を超えると女性としての機能が低下する」と考えられており、その考えに基づいて作られた大奥のルールが「御褥御免」というものです。

「御褥御免」とは「30才になったら正室も側室も将軍との夜のお相手を辞退する」というルールのこと。

一説によれば、このルールが敷かれたのは3代将軍・家光の頃からのことでした。

このころから将軍の正室には皇族や公家の姫君が選ばれるようになり、温室育ちの正室を高齢出産のリスクから守るために始まったと言われています。

また、産まれてくる子供に健康障害が無いように、ということも配慮されていたようです。

将軍の子供の死亡率にみる「御褥御免」の矛盾

ところが、「御褥御免」が始まった家光の代以降とそれ以前を比べると、皮肉なことに子供の死亡率は家光以降の方が高くなっています。

以下は、『徳川幕府家譜』をもとに私が計算した子供の死亡率(20才になる前に死亡した子供)です。

初代・2代目 5人死亡/25人誕生 →死亡率20%

3代目以降(15代慶喜除く※) 72名死亡/112名誕生 →死亡率64%

※御褥御免の慣習がなくなったことにより、慶喜を除きました。

御褥御免を守り若い母親が産んだはずの子供は64%の確率で亡くなり、一方2代目秀忠の正室のお江与は35才まで元気な子供を出産しています。

(3代目家光を出産したのも、お江与が32才のときです)

どう考えても、母親の出産年齢より重大な問題が隠れているように感じます。

女性の年齢は問題じゃない!将軍家の健康を蝕んだ別の要因

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確かに高齢出産が母体にとっても子供にとってもリスクが高いのは事実。

だけど当時考えられていたように「30才」という年齢に高い死亡率の原因があるわけではなさそうです。

考えられる要因は2つあります。

母体となる女性の慢性的な運動不足

皇室や公家出身の姫君たちはほとんど動くことが無かったので、高齢だろうがなんだろうが関係なくそもそも「子供を妊娠し産む力」が乏しかったのかもしれません。

家光以降の将軍の正室で子供を出産したのは13人中なんと4名。

その4名が出産した子も全員が子供のうちになくなり、一番長生きした子で13才でこの世を去っています。

白粉(おしろい)による健康被害

大奥では白粉を重ねて塗り、白ければ白いほどお洒落だとされていました。

そこで正室や側室や、乳母の場合は授乳する胸元まで白粉を塗り重ねたそうですが、その白粉の成分に水銀が入っていたようです。

生まれた子供たちは授乳の時、白粉が少しづつ口に入って、その被害で健康を害したのかもしれません。

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