将軍の正室・側室と言えばさぞ美人に違いない・・
と思ってしまいますが、実際はどうだったのでしょうか?
徳川将軍家の遺骨を調査した人物・鈴木尚氏が、その結果から正室・側室の中で一番美人だった人物を推測しています。
その結果は?
一番の美人は、13代将軍の正室「鷹司任子」
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鈴木氏の調査によると、正室・側室の中で一番の美人は、13代将軍・徳川家定の最初の正室「鷹司任子」。
彼女の頭骨を分析すると、
左右の眼窩の幅が狭く
鼻根部は現代人以上に高く隆起。
眼球のあるくぼみは高かった
・・つまり、目がぱっちりとして大きく、鼻が狭くて高い顔立ち、ということになるそうです。
身長も、当時の一般人の平均身長145cmより少し高い147.8cm。
その割に頭部の大きさは平均レベルだったということなので、頭身の高いスラっとした体型だったそう。
現代で生きていても、きっと美人だったのでしょうね!
惜しい!鷹司任子に次ぐ、器量よしは?
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それでは、そのほかの正室・側室はどうだったのでしょうか?
鈴木氏によれば、鷹司任子の他に「器量が良い」と考えられたのは他に二名。
一人目は11代将軍・家斉の正室広大院で、目が鷹司任子より大きく健康的な美人だったとか。
もう一人は、6代将軍・家宣の側室月光院。
月光院は鼻がかなり高かったのだそうです!
番外編:美人たちを大奥から解雇した「8代将軍・吉宗」の深イイ話
最後に、「権力者は美人が好き」というステレオタイプを覆す吉宗のエピソードを披露します。
吉宗は将軍職に就いたばかりのある日、大奥の女中の中から「みめかたちうるわしき者」を集めるように言いつけます。
家来たちは当然、「集めた美人の中から側室を選ぶのだろう」と考えました。
ところが集まった美人たちを前に吉宗が言い渡したのは、「解雇」。
美女たちも密かに期待していたでしょうに・・
では、この吉宗の行動の真意は何だったのでしょうか?
それは・・
「みめうるわしくない者」たちの職を守るため。
吉宗は代替わりに伴って大奥女中の人員整理をしようとしたのですが、
美しくない女中がいきなり解雇されたら困るだろう
と考えたのです。
なんと思慮深い・・
でも、大奥女中と同じ女性目線で考えると「容姿だけで決めつけるなんて!?」
なんだかバカにしてるような気もしちゃいます。
深イイ話と書きましたが、逆にけっこうヒドイ話しなのかもしれませんね!
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