大奥にはたくさんのしきたりがありますが、この記事では「将軍と過ごす夜」のしきたりについてまとめてみました!

将軍は何でも好き放題!・・では無かった大奥

「大奥」といえば将軍のハレームというイメージがあります。

さぞかし将軍は好き放題だっただろう・・と思いきや、例え将軍であっても、大奥のしきたりに従った過ごし方をしなければいけませんでした

例えば将軍は、必ず事前に「誰と過ごしたいか」を届けなければならず、相手が御台所(正室)であったとしても例外ではありません。

またどのように時間を過ごすかも決められており、監視もされていました。

月に10日も設けられた禁欲日

また大奥への出入りも、月に10日ほど禁止された日があったといいます。

それらの日は「精進日」と呼ばれていました。

精進日は歴代将軍の命日や近親者の命日にあたり、宗教的な儀式を行うため女性が遠ざけられたと言います。

(当然のことながら、時代が進むにつれて精進日の数は増えるため、幕末にはもっと多かったようです)

御台所(正室)と過ごすときの過ごし方

御台所を夜の相手に選んだときは、夜に大奥へ行くとしばらくおしゃべりの時間になります。

床に入るのが許されるのが夜10時ごろ(亥の刻)。

このとき寝床の次の間に御年寄と御中臈が控えていて、一部始終を聞かなければいけませんでした。

寝床から離れる時間も決まっており、朝の6時になると将軍は大奥を出て職務に就きました。

側室と過ごすときの過ごし方

側室と過ごすときは、正室と過ごすときよりもルールが厳しくなります。

まず側室は、入念な身体チェックをしてからでなければ、将軍のもとへ赴くことが出来ませんでした。

床に入る時間は10時と同じ。

次の間にも同様に、御年寄と御中臈が控えていましたが、大きな違いは

もう一人の御中臈と「御伽坊主」と呼ばれる女性が将軍と側室の添い寝をすること

でした。

こうして過ごした側室との夜は、御年寄へ逐一報告されていました。

側室からの個人的なおねだりを防ぐためです。

添い寝までする「御伽坊主」とは

「坊主」と聞くと男性をイメージしてしまいますが、大奥の御伽坊主は髪をそった年配の女性です。

彼女たちの役割は将軍の子づくりの世話をすることだったと言います。

でも、「子づくりの世話」と言われてもピンときませんよね。。

たいへん気になるその中身ですが、彼女たちは大奥でのことを語ることが禁止されていたため、明らかになっていないようです。