一条美賀子は江戸幕府15代将軍・徳川慶喜の正室です。

歴史の表舞台に出ることはありませんでしたが、彼女の人生は最後の将軍の妻として波乱万丈なもの。

また義母や愛人や不妊に悩まされる姿は、現代の女性でも共感できるものでありました。

そこでこの記事では、歴史として語られることの少ない一条美賀子さんの「女性としての苦悩」にクローズアップし、彼女の人生をまとめてみました!

徳川慶喜と結婚するまで

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一条美賀子の夫となる15代将軍・徳川慶喜は、水戸藩主徳川斉昭の7男として生まれました。

幼いころから英才教育を受けた慶喜は、将軍候補となるために御三卿の一橋徳川家へ養子に出されます。

慶喜はその一年後に婚約しますが、その婚約相手は当初一条美賀子ではありませんでした。

病気になった婚約者に代わり、最後の将軍の御台所に

慶喜が最初に婚約した相手は一条家の千代姫という女性でしたが、千代姫は嫁入り直前に疱瘡にかかってしまいます。

その代わりに嫁がされたのが、一条家の養女となった美賀子でした。

美賀子は千代姫の嫁入り道具をそのまま持って、江戸へ嫁がされます。

義母と同居で孤独な日々

江戸へ嫁いできた美賀子の住まいは、慶喜が養子になった一橋家でした。

ここには慶喜の義母である一橋直子が同居していましたが、直子と慶喜は仲が良く美賀子は疎外感を感じていたと言います。

直子への嫉妬や孤独感から、ヒステリーやうつ病のような症状まであったそうです。

そこで美賀子が望んだのが、一刻も早く子供を生むことでした。

「子供を産めば義母と対等以上になれる」と慶喜をせかすようになりますが、その態度が裏目に出てか慶喜は一橋家を出て別居状態になってしまいます。

千代姫の呪いか?子供の相次ぐ夭折

そんな状況の中、美賀子はようやく妊娠しますが、子供は出産してすぐ亡くなってしまいました。

その後も3人身ごもったといいますが、ことごとく亡くなるという不運に見舞われます。

これについて「千代姫の呪い」という噂がたったりして、慶喜はますますいたたまれなくなり、夫婦の仲は遠のいていきました。

(このあたりのくだりは、源氏物語の登場人物・葵上をほうふつとさせるものがあります。

葵上も源氏と打ち解けあえず、ようやく子供を授かったと思ったら、六条御息所の呪いで命を落としてしまいます)

夫の将軍就任も、大奥へ入らず別居

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そうする内に慶喜は第15代の江戸幕府将軍に就任しますが、美賀子は御台所として大奥へ入らず一橋家に住み続けました。

大奥では、慶喜はお気に入りの側室を作り、ますます心は離れていきます。

慶喜のお気に入りの側室は特に3人いて、江戸火消しの娘のお芳と幕臣の娘・信と幸でした。

とくに信と幸は瓜二つで仲もよく、慶喜の将軍解任後も静岡へ伴っていきました。

維新後、静岡での生活・・美賀子と慶喜は10年ぶりの同居

維新後、隠居する慶喜は江戸から静岡へ移住することになります。

美賀子は初め一橋家に残っていましたが、慶喜の謹慎が解かれて二か月後に静岡へ移住します。

こうして二人の同居は、およそ10年ぶりに再開しました。

ところが慶喜は側室として信と幸を伴っており、夜は二人のうちどちらかと過ごしたと言います。

二人は子供も12人ずつ生みましたが、全員美賀子を実母として育てられました。

美賀子はその後60才まで生きますが、乳癌でこの世を去ります。

女性として欲しいものが、ことごとく手に入らない人生

このように一条美賀子さんの人生を振り返っていると、同じ女性として心がズキズキと傷みます。

彼女の人生が、明るい側面が語り継がれておらず、「女性として大切にされない・愛されない」記憶ばかりを残しているからだと思います。

私も、

二股をかけられたり、大切にされなかったり

欲しくてできないのに「子供はまだなの」とせかされたり

自分の味方をしてほしかったのに姑の肩をもたれたり

なんてことを、全部思い出させられました。

夫からもらえるはずだった愛情がもらえなかった。

愛されるべきだったのに、愛されなかった。

美賀子さんからそんな声が聞こえてきそうですが・・

私たちの知らない幸せが彼女の心の中に咲いていたら、いいなと思います。