「板倉勝重」は、江戸時代に徳川家康の家臣として活躍した人物です。

しかし、教科書に載るような華々しい功績を遺した人物でもないし、それほど有名でもありません。

でもその生涯を知ると、「板倉勝重ほど時代に愛された男はいない」と思ってしまうほど。

そんな、運を味方につけてしまう板倉勝重の人生についてお伝えします。

僧侶から一転。アラフォーにして突然武士になる。

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板倉勝重は三河国(いまの愛知県)に生まれ、幼少期に出家して僧となりました。

ところが父と、その後に家督を継いだ弟が戦死します。

兄がいましたが既に家康の家臣になっていたので家督を継ぐことが出来ず。

そこで僧侶の勝重が還俗して(僧侶をやめて)板倉家を継ぐことになりました。

その時、勝重は既に36才。

僧侶であったため戦いの経験が無いこと、また家族が次々と戦死したことを考慮されたのでしょうか。

戦いに出るよりも、内政面を任され、徐々に家康に認められるようになります。

戦国の時代に「適材適所」を考えてくれる主に恵まれたことは、勝重の最初の幸運だったと言えます。

僧侶、内政の経験が買われ「初代京都所司代」に。

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戦いよりも内政面の才能を磨いた勝重。

これは、江戸時代で生きる武士にとって、最も幸運だったのではないかと思います。

なぜならそれまでの有力武将の得意とする「合戦」。

ところがその合戦は、江戸時代になると無くなってしまうので・・

多くの武士が自分の活躍の場を無くしてしまったのです。

そのため、「戦国の復活」を願って大阪の陣に参戦する武士たちがたくさんいたとか。

でもそんな中で、「政治」の経験が豊富な勝重は第一線で活躍できます。

京都での治安維持にあたる「京都所司代」に初めて任命され、その手腕を大いに発揮しました。

この役職の重要な任務は、朝廷や公家を掌握すること。

そして、大阪の豊臣家を監視すること。

勝重はこの職責を、僧侶であったとき学んだ学問を活かしてこなしたのでした。

まとめ

勝重が初めから家督を継いでいたら、僧侶の経験もないため知恵もなく・・

京都所司代になっても活躍出来なかったかもしれません。

もしくは家督を継ぐのがもっと後だったら。

齢を重ねるほど、武家社会になじむことが難しかっただろうと思います。

「最適のタイミングで最適な場所にいた」としか思えない、ラッキーな人生ですよね。

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