平賀源内は江戸時代中期、10代将軍徳川家治のころに活躍した人物です。
「エレキテルを作った発明家」とピンとくる方も多いかもしれません。
でもその生涯を知ってみると、発明家というより多彩な芸術家。
多方面に渡り才能を示した、世にも稀な自由人「平賀源内」の生涯にせまります!
家や藩にしばられない平賀源内の生涯
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平賀源内はもともと「本草学」という医薬に関する学問を藩医から学びながら、父の跡を継いで藩の蔵番をしていました。
それが1年間長崎へ遊学したことから、さまざまな才能を発揮し始めます。
携わった分野は多岐にわたり
オランダ語
油絵
戯作(通俗小説)
浄瑠璃
地域の物産のブローカーや鉱山開発。
興味や才能の幅が広く、これらを追究するために藩の仕事や家督まで放棄してしまいました。
田沼意次、杉田玄白など多彩な人脈
また平賀源内は才能豊かなだけでなく、多くの文化人や政治家とつながりを持っていたことも知られています。
江戸幕府9代・10代将軍のもとで政治の中心を担った「田沼意次」
はじめて西洋の医学書を翻訳した「杉田玄白」
など、各方面で活躍していた人物からも才能を評価されていました。
発明したと思われているエレキテル・・実は
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「エレキテル」とは静電気発生装置のことを指します。
日本では「最初に平賀源内が作った!」と学校で教わったような気がしますが実は、平賀源内は壊れたエレキテルを修理しただけだったようです。
長崎でオランダ製のエレキテルを手に入れた平賀源内は、それが壊れていたので「なんとなく」いじってみたら直ってしまったのだとか。
「なんとなく」のため、源内は仕組みも理解できていなかったそうです。
自由人の末路は・・殺人事件を犯し、獄中で迎えた最期
非常に才能豊かであった平賀源内ですが、その最期は大変残念なものだったようです。
酔った際に、知人の大工二人に大切なものを盗まれたと勘違いした源内は・・
二人を殺してしまった罪で囚われ、獄中で亡くなりました。
その死を悼んで葬儀をしたのは、友人として付き合いのあった杉田玄白だったと言われています。
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