江戸時代の出産は死亡率が高かったことから、無事の出産を祈願するという意味のしきたりがとても多かったようです。

この記事では、そんな大奥での出産にまつわるしきたりについて調べたものを、分かりやすくまとめてみました!

大奥での出産のしきたり・・将軍の御台所、側室が妊娠したら?

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大奥では、妊娠が明らかになった時点で呪術的なしきたりに従った生活が始まります。

将軍の正室である御台所は、「御不例」(普通ではないこと、高貴な身分の人に使う「病気」の意味)と称して「御休息の間」という部屋へ移ります。

側室の場合も同様に「病気」と称して自室に引きこもりました。

今も続く妊娠5か月のお祝い「帯祝い」

病気と称して部屋へ引きこもった妊婦は、妊娠五か月になると部屋の住み替えが行われます。

この部屋は「北之間(あるいは七宝之間)」と呼ばれ、出産する部屋でもありました。

また北之間へ移動した時に行われるのが、「帯祝い」と呼ばれる儀式です。

安産を祈願した岩田帯(腹部に巻くさらしの布)を腹に巻くといったもので、この風習は現代までも続いています。

犬が「多産」であることから戌の日に参ることが一般的ですが、これが江戸時代のいつ頃始まったかは定かではありません。

臨月。部屋の模様替え

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臨月になると、北之間は出産に備えて模様替えです。。

「寄掛り」と呼ばれる出産用の夜具に変えられるのです。

寄掛りにはその名の通り畳の前部に寄掛るための台が取り付けられています。

畳の上には、白綾(白絹の綾織物)で縁取られた布団が敷かれました。

また天井からは「子安縄」と呼ばれる藍染の布を布団の上まで下げます。

これにしがみつき、座った姿勢で出産するためです。

産気づいたら・・!?

妊婦は産気づくと、白無垢に着替えて髪をひっつめに結びます。

そして子安縄にしがみつきながら出産に臨むのですが、その合間にも別室で魔除けの祈願の準備が始まります。

「蟇目役(ひきめやく)」(出産の邪気を、弓の弦を鳴らすことで祓う人)と呼ばれる女性たちは、仏間で待機します。

そして出産の知らせが届いたとき、鬼門の方角に向けて弓の弦を鳴らします。

また難産だと分かったときは、女中が桶の底を抜いて安産の祈願をします。

出産後

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蟇目役の女中が呪文を唱えながら、その呪文が書かれた奉書を北之間の柱に張り付けます。

男児の場合、「中央利益堅牢地神許出胎哲(ちゅうおうりやくけんろうちしんきょしゅつたいてつ)」

女児の場合「被子一決好父愛敬(ひしいっけつこうふあいけい)」

と唱えました。

へその緒を切るとき

御年寄や上臈御年寄(ともに奥女中の最高役職)が無事の成長を祈る呪文を唱えながら、三方に載せた洗米を撒く。

また産湯は東の方角にある井戸のものを温め、金銀箔を入れるというしきたりがありました。

産まれた子が過ごす部屋

嫡男・嫡女は「宇治の間」と呼ばれる部屋を住居としてあてがい、次男・次女などが生まれたときは別の部屋で「御二之間」「御三之間」が住居となりました。