大奥に関わる事件で有名なものに「延命院事件」というものがあります。

この事件は、延命院の住職が女中たちに淫行相手をあっせんしたというもの。

その中には大奥で将軍の側室候補にされた女中もいました。

この記事ではスキャンダラスな「延命院事件」について、分かりやすく解説します!

大奥女中の心につけいった美僧侶・日潤

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日潤は、説教がうまく美しい僧侶として名を売り、32才の若さで延命院の住職になった人物です。

延命院は第3代将軍・徳川家光によって開かれた寺で、大奥女中や諸大名の女中たちに人気の寺でした。

日潤は「2代目・尾上菊五郎」?

僧侶になるまえの日潤は、歌舞伎役者をしていたという説があります。

それも、今も残る名跡である2代目「尾上菊五郎」だったとか。

ただしWikipediaなどには、2代目尾上菊五郎は襲名して2年で急死したとされ、真偽のほどは分かりません。

あるいは、日潤の起こした事件の大きさから「2代目は死去した」とされているのかもしれません。

女中のための「男郎屋」と化した延命院

住職になった日潤は参詣に通う女中たちと密会を始めます。

通う女中の人数が多く日潤が相手をしきれないときは、仲間の歌舞伎役者を呼んで相手をさせたとか。

この事態は幕府も把握していましたが、通う女中の中に将軍の側室候補である「御中臈」という役職の女中もいたため、寺社奉行といえども手をつけられませんでした。

敏腕「寺社奉行」の登場で暴かれる日潤の淫行

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しかし「脇坂安ただ」という人物が寺社奉行になったことにより、日潤の行いがついに裁かれることになります。

脇坂は代々譜代大名が務めていた寺社奉行に、外様として初めて抜擢された切れ者です。

彼は延命院に家臣の娘をスパイとして送り込み、淫行の証拠をつかんだのでした。

結果、日潤は捕縛され死罪に。

関係した女中たちも罰せられましたが、それも大名の女中まで。

大奥の女中にまでは、脇坂も捜査の手を伸ばすことはできませんでした。

☆☆☆

日潤て、めちゃくちゃ美形だったようです。

それでも淫行のために寺に通うなんて、現代のモラル感覚からしたら何か気持ち悪いです・・

この一つ前の記事でも僧侶による淫行の事件をまとめているのですが、昔のお坊さんてどんだけ・・

って感じですね。

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