江戸時代、結婚や離婚はどのようなしきたりのもとで行われていたのでしょうか?
江戸時代の結婚・離婚にまつわる常識を調べてみました!
江戸時代の結婚「嫁入り婚が一般化」
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現代でも一般的な「嫁入り婚」。
これは、女性が男性の家へ入るという結婚形態ですが、この嫁入り婚が定着したのが江戸時代です。
日本では古代から「婿入り婚」と呼ばれ、男性が女性の家へ入ることが一般的でした。
その形態が徐々に変化し始め、戦国時代のころから嫁入り婚が増え、江戸時代にはそれが常識となりました。
結婚は家のため。女は子供を産むため。
嫁入り婚の傾向とともに江戸時代に強くなったのは、「結婚は家のためにするもの」という考え方です。
現代では結婚は「新しい家族を作る・自立」をイメージさせるものですが、江戸時代では結婚は先祖代々の土地や財産を継承するための儀式。
そしてその考え方の中では、嫁の立場は「家を相続する子供を産むためのもの」。
子供が産まれなければ、家が取り潰しになってしまうからです。
そのため子供を産めない女性は「石女(うまずめ)」と呼ばれ、当然のように離婚されました。
また「相続人を増やす」という理由で子供を産ませるために、男性が妾を持つことも当然のことと考えられていました。
江戸時代の離婚
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離婚は男性側の権利
上記の結婚のように、離婚も男性側の立場が尊重されていました。
男性は妻に対して一方的に離婚を言い渡す権利があり、妻は強制的に実家へ帰らされることもあったのです。
離婚を言い渡す書状は三行半の文章で書かれていたので、「三行半(みくだりはん)」と呼ばれています。
現代でも男性側から言い渡すケースの離婚を「三行半をたたきつける」と言いますが、この風習から来ています。
ただしあまりに勝手な理由での離婚の場合は、双方の実家や仲人が調停役に立ちました。
数少ない女性の権利「縁切寺」
男性からは自由に離婚を申し立てられても、女性の側からの離婚は数少ない条件にのみ限られて許可されていました。
妻の持ち物を勝手に質屋で換金したとき
夫が長期間疾走したとき
などです。
それ以外の方法で離婚をするための方法が、「縁切寺」「駆け込み寺」と呼ばれるもの。
「縁切寺」「駆け込み寺」と呼ばれる寺院に逃げ込みそこで3年過ごせば離婚が認められたのです。
この縁切寺は戦国時代に登場しましたが、江戸時代には相模国の東慶寺と上野国の満徳寺のみに減少
実質的には、江戸時代に女性が離婚することはとても難しかったのです。
☆☆☆
私は女性ですが、江戸時代の結婚のしきたりを見ていると、現代の女性がとても恵まれているなぁと感じます。
苗字こそ男性側を選ぶ方が多いですが、妻の立場も妻の実家もとても大切にされている人が多いですもんね。
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