最近「一条美賀子」という女性がとても気になります。
彼女は15代将軍・慶喜の正室ですが、同じ将軍の正室である篤姫や和宮のように称賛されることも歴史の表舞台に登場することもありません。
そんな彼女のことが、なぜこんなにも気になるのか。
それは一条美賀子の人生に、女の変わらなさ・どうしようもなさが感じられるからだと思います。
篤姫・和宮と対比される一条美賀子
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篤姫、和宮、一条美賀子はともに幕末の将軍の御台所となった人物です。
全員が
自分の意志ではなく時代によって江戸へ嫁がされ、
生き死に問わず夫は不遇の身となり
将軍の御台所として栄華を極められたわけでもない。
そんな共通点があります。
それでも篤姫や和宮は、将軍家の御台所として徳川家を守ろうとし、幕末の働きは後世にも語り継がれています。
ところが一条美賀子さんといえば、彼女たちと一緒に奔走する姿も、将軍の座を降ろされた夫に寄り添う姿も語り継がれていません。
語り継がれていることといえば、
義母との不仲
不妊の悩む姿
側室たちとのわだかまり
夫への不信
こんなことばかり。
まるで、現代の女性が悩んでいることと一緒です。
幕末の、生きるか死ぬかの時代なのに。
お家一番の時代に家が無くなるか無くならないかの時代なのに、悩んでいたことは、今の女性と変わらないのです。
そのことに、逆に私自身の、ドロドロの女くさい一面が許されたような気がしました。
嫉妬ばかりでもドロドロしてても、それが女の本性なんだから、諦めて受け入れたらいいんだよ、と。
源氏物語のころから、女性の本性は変わらない
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一条美賀子さんの人生をみていると、さらに昔の物語「源氏物語」が思い起こされます。
源氏物語では、主人公の源氏がさまざまな女性と関わる中で、女性たちが持つ嫉妬や不安や不信などが描かれています。
特に思い起こされるのが、年上の未亡人で源氏の浮気相手の六条御息所と源氏の正室・葵上のエピソード。
お互いに嫉妬心でいっぱいなのに、それを表に出したり認めたりしません。
でもその押し込めた嫉妬心は、相手を呪ったり、命を落としたりしてしまうほど。
その時代から千年たっても世紀が変わっても、女性たちは同じことで悩んでいるんですね。
幕末でも。
非常時でも。
そして、現代の、恋愛も結婚も離婚も自由が大きくなり、女性の立場が向上した世の中でも。
どんな制限の中でも自由の中でも、結局女性は
「大好きな男性の一番になりたい」
という思いに縛られてる。
・・のかもしれません。
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