大奥にいた将軍の側室は、将軍が亡くなると「桜田御用屋敷」と呼ばれる屋敷で余生を過ごしました。

この記事では「桜田御用屋敷」について説明するとともに、その桜田御用屋敷で将軍の元側室が起こした恋愛スキャンダルについてまとめました!

桜田御用屋敷とは

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将軍が亡くなると、側室たちはみんな落飾し(髪をそり落として仏門に入り)尼になりました。

そんな彼女たちが住む場所として用意されたのが「桜田御用屋敷」です。

尼になった女性を「比丘尼(びくに)」と呼ぶので、別名「比丘尼屋敷」とも呼ばれました。

桜田御用屋敷では元側室たちは自由な外出が許されず、半軟禁のような状態で暮らしました。

これは、万が一にも彼女たちが男性と接触して妊娠するのを防ぐため。

「将軍の落胤かもしれない子供」が出てくるのを防ぐためでした。

比丘尼屋敷で起こった、元側室の恋愛スキャンダル

12代将軍・家慶の側室「お琴の方」

そんな厳格な生活を強いられた比丘尼屋敷で、恋愛スキャンダルが起こったことがありました。

事件を起こしたのは第12代将軍・徳川家慶の側室のお琴の方(和光院)です。

お琴の方は実兄の政治戦略のために大奥へ入れられ、家慶から寵愛を受けた側室でした。

彼女は大奥で側室になり8年間の間に、二男二女をもうけましたが、みんな亡くなっています。

8年後に家慶が亡くなり、落飾して桜田御用屋敷へ入りました。

大工との間に芽生えた恋

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お琴の方は比丘尼屋敷でひっそりと暮らしていましたが、ある日その生活を一変する出来事が起こります。

桜田屋敷の改修のために屋敷に出入りし始めた大工の頭(かしら)と、恋に落ちたのです。

その頭(かしら)は名前を幸次郎といい、当時大人気だった役者に顔がそっくりの男前だったと言います。

屋敷の改修はほどなくして終わりますが、お琴の方は家慶の墓参りと偽って比丘尼屋敷を抜け出し、幸次郎と密会を始めるようになります。

しかしそれはあっという間に噂として広まり、幕府に知れるところになるのでした。

お琴の方の死で終わった比丘尼屋敷の恋

幕府にまで知れ渡った不祥事は、武士の娘であれば家内で処分しなければいけません。

お琴の方は兄から呼び出され、そのまま手討ちにされます。

こうしてお琴の方のスキャンダルは収束しましたが、相手の幸次郎はどうなったか分かっていません。

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