徳川家康の辞世の句と言えば、
「人の一生は、重き荷を負うて・・」
という句が有名です。
ところがこの句は偽物では無いかという説があります。
それでは、本物の徳川家康の辞世の句はどんなものなのでしょうか?
調べてみました!
有名な辞世の句は偽物だった!
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冒頭にも書いた通り、徳川家康の辞世の句は以下のものとして有名です。
「人の一生は、重き荷を負うて、遠き道を行くが如し。
急ぐべからず。
不自由を常と思へば不足なし。」
(人生とは、重い荷物を背負って遠い道のりをお歩いていくようなものだ。
急いではいけない。
こんなものだ、と思えば何の問題もない。)
「東照公御遺訓」一部抜粋
これは「東照公御遺訓」として伝えられている人生訓の冒頭部分になります。
ところがこれは明治時代に幕臣の一人によって偽造された文書の可能性があるのです。
その根拠としては、文書の最後に書かれた花押(署名の代わりに書かれる記号)が本人の書いたものと微妙に異なるからだそう。
にも関わらず、この文書は日光東照宮に収められているほどなので、家康が書いたものとして信じられて来たのです。
(日光東照宮も信じるほど信頼の篤い人が作成したのでしょうか?)
では、本当の辞世の句は?
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では、徳川家康の本当の辞世の句はいったいなんなのでしょうか?
上記の句が偽物と判った現在においては、次の句が本物の辞世の句として考えられています。
嬉しやと 二度さめて 一眠り
浮世の夢は 暁の空
(目が覚めて、もう一度眠る。嬉しいことだなぁ。
この世の出来事は、まるで明け方に見る夢のようだ。)
とても穏やかな句のように感じますね!
長い苦難の末に天下統一を果たして「やり遂げた」という満足感が現れているようです。
信長、秀吉ら他の「三英傑」の辞世の句との比較
この家康の辞世の句は人生を「夢」に例えていますが、このことは家康と並んで「三英傑」と呼ばれた織田信長、豊臣秀吉の辞世の句とも共通しています。
織田信長の辞世の句は
人間五十年 下天のうちをくらぶれば
夢幻の如くなり
一度生を得て 滅せぬもののあるべきか
(人の人生は50年。天上世界の時間の流れと比べれば、一瞬で終わる夢や幻のようなものだ。
命を受けたものはみな、例外なく滅びるのだ。)
豊臣秀吉の辞世の句は
露と落ち 露と消えにし 我が身かな
浪速のことは 夢のまた夢
(露のように生まれ落ち消えていく、ありふれた命の我が身。
大坂でのことは、夢の中で夢を見ているような儚いものだった)
織田信長は突然終わりをつげる人生を「あっけないものだ」と歌っています。
同様に豊臣秀吉も、栄華を極めたものの心配事もあり(子供のこと)志なかばでこの世を去る無念さを感じます。
このようにあっけなさ、むねんさを「夢」という言葉で表しているのが、信長や秀吉の辞世の句です。
一方で家康は「夢」という言葉に素晴らしさ、喜びを乗せています。
辞世の句で、この「夢」というキーワードが共通して使われているために、それぞれの人生が終わるときの気持ちの違いが浮かび上がってくるようです。
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