江戸時代に流行し、たくさんの人の命を奪った流行り病と言えば「天然痘・コレラ・梅毒」などがあります。

この記事では、これらの疫病が江戸時代にどのように流行したのかを、分かりやすくまとめてみました!

日本書紀にも記録されていた「天然痘」

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天然痘、あるいは疱瘡は、飛沫や接触によってうつる感染症です。

発熱・頭痛・発疹をともない亡くなる場合も多い伝染病でした。

現在では天然痘の予防ワクチンが普及されこの病気に恐れることは無くなりましたが、江戸時代には「はしか」「水疱瘡」と並んで、子供の命を奪う病気として恐れられていました。

江戸時代後期、ワクチンが渡来するも・・

天然痘のワクチンは1796年にイギリスのジェンナーが発見をし、日本には早くもその約20年後には漂流民によって持ち込まれていました。

しかし幕府は当時、ワクチンに対して何の関心も示さなかったのだとか。

日本でワクチンが普及され始めたのはその37年後のこと。

再びこのワクチンがもたらされ、それ以後は西洋医たちによってワクチン接種が促されたといいます。

江戸時代に初めて流行し何十万人もの命を奪った「コレラ」

コレラが日本で初めて流行したのは1822年のこと。

この時は西から流行が広がったものの、箱根を超えずに江戸まで感染は広がりませんでした。

ところが1858年におきた大流行では江戸を直撃してさらに北上。

死者数は江戸だけでも2万8000人あまり、日本全土では10万~26万人とされています。

その後は数年おきに明治時代まで流行は続きました。

コロンブスが持ち帰り倭寇によって日本に渡来した「梅毒」

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江戸時代に急激に蔓延した病気に「梅毒」がありました。

梅毒はそもそも西インド諸島のハイチの風土病だったもの。

それをコロンブスがスペインに持ち帰り、1493年にヨーロッパで大流行しました。

そんな梅毒が日本に入ってきたのは1512年のことだと記録されているのだとか。

もたらしたのは海賊「倭寇」で、江戸時代には花柳界を中心に大流行しました。

徳川家康の次男・結城秀康も梅毒であったと言われています。

その他の流行り病

インフルエンザ

現代でも毎年寒い時期になると猛威をふるうインフルエンザ。

インフルエンザは江戸時代からの流行り病で、特に江戸後期には何度か流行しました。

はしか

日本で初めてはしかが流行したのは奈良時代のこと。

江戸時代にはほぼ20~30年おきに10回ほど流行しました。

子供に比べて大人は重病になりやすく、徳川綱吉の死因であったとも言われています。

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