浅間山はいまも入山規制が続く火山ですが、大噴火したのはいつのことだったのでしょうか?
それは江戸時代のことでしたが、この大噴火は日本のみならず遠いヨーロッパにも大きな影響を及ぼすほどの被害があったのです。
江戸時代に起こった火山噴火は179回
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260年以上続いた江戸時代。
火山の噴火は実に20もの火山で起こり、延べ179回あったと言われています。
単純に計算すれば、2年に1回。
そしてそれほどまでに多くあった噴火の中で、最多かつ最も大きな被害を及ぼしたのが「浅間山の噴火」でした。
浅間山の噴火は江戸時代に起こった179回のうち44回。
たったひとつの山で、全噴火の4分の1を占めるほどの噴火数と、日本にとどまらない被害をもたらしました。
「日本のポンペイ」と呼ばれた天明の浅間山大噴火
浅間山の噴火のうち、甚大な被害をもたらしたのは天明3年(1783年)7月6日の噴火です。
この噴火による火砕流は時速100キロの勢いで近隣の村「鎌原村」を飲み込みました。
火山灰から発掘された遺体は、必死に逃げようとするが間に合わずに巻き込まれてしまった様子が見られたといいます。
それはまるでイタリアのヴェスビオ山の噴火による火砕流に巻き込まれたポンペイの被害状況に似ていることから、鎌原村は「日本のポンペイ」とも呼ばれました。
死者の数は1151人だと言われています。
火山灰は地球規模の飢饉をもたらした
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浅間山噴火の被害はそれだけにとどまらず、噴出された火山灰が空を覆ったことで異常低温となり、深刻な飢饉を引き起こしました。
この火山灰は日本上空だけでなく北半球全体を覆ったため、ヨーロッパでも農作物が不作に。
このことがフランス革命の一因になったとも言われています。
ちなみに・・被害者数が一番多かった噴火は「雲仙普賢岳の噴火」
このように地球規模の被害をもたらした浅間山の大噴火。
ところが犠牲になった被害者数で言えば、雲仙普賢岳の噴火の方がけた違いに多いものでした。
普賢岳の火砕流で犠牲になった人は約1万5千人。
雲仙普賢岳は1990年に、約200年ぶりに噴火し、火砕流が流れる様子はテレビの中継でも放送されたため、わずかばかりながら江戸時代の噴火のすさまじさを思うことが出来ます。
☆☆☆
2018年1月23日に噴火した草津白根山も、江戸時代に2回噴火しています。
科学が進歩しても噴火を予測することは難しいのですね。
噴火した時の恐ろしさは、江戸時代も現代も全く変わらないのでしょう。
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