江戸時代の歌川豊国の浮世絵「古今名婦伝」には、江戸女性が憧れるべき女性の人生や伝説が描かれていました。

この記事では、そんな古今名婦伝に描かれた「袈裟御前」や「玉照姫」、「白菊姫」などの伝説を紹介するとともに、それらから読み解く「江戸女性の理想の姿」について考えてみたいと思います!

不倫を拒み名誉の死を遂げた「袈裟御前」

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まずは平安時代の宮廷に勤めていたという「袈裟御前(けさごぜん)」の伝説から。

袈裟御前は宮廷で皇女に仕える位の高い女性で、結婚もしていました。

ところが北面の武士として同じく宮廷で仕えていた遠藤盛遠という男に一目ぼれされます。

盛遠に不倫の関係を迫られた袈裟御前は拒みますが、母の命を人質に取られ、とうとう体を許すことに。

しかし袈裟御前は自らの名誉を取り返すために

「夫を殺して結婚しよう」

と盛遠をそそのかし、夫の寝首を斬らせます。

でも実はそれは夫に扮した袈裟御前だったのです。

袈裟御前を殺してしまった盛遠は苦しみながら彷徨い、やがて出家してしまいます。

☆☆☆

この伝説の登場人物、遠藤盛遠は実在し、出家したのちは文覚(もんがく)という名で記録に残されています。

袈裟御前が実在の人物なのか、この伝説が本当の話しなのかは分かりませんが、この伝説がモチーフになった1953年の映画「地獄門」はカンヌ映画祭の最高賞を取っています。

まるでシンデレラ「玉照姫」

続いてはまるで日本のシンデレラのような「玉照姫」の伝説。

玉照姫は平安時代の女性で、姫でありながら下女として下働きをして生活していました。

ある日、野良仕事の帰り道、荒れたお堂にまつられた観音像が、雨で濡れぞぼっているのを見ます。

そこで玉照姫は自分の笠を観音像に被せてあげました。

そんな姿を見ていたのが青年貴族の藤原兼平で、彼は玉照姫を京へ連れて帰って結婚したということです。

☆☆☆

まるでシンデレラのような、はたまた「かさこ地蔵」のようなストーリーです。

恋人を追いかけて幸せをつかんだ「白菊姫」

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最後に紹介するのは伝説上の人物「白菊姫」。

白菊姫は長者の娘で、盗賊退治に訪れた青年貴族と恋におち、子供を身ごもります。

ところが彼は盗賊退治が終わると白菊姫を残して京へ帰ってしまいました。

悲しんだ姫は川へ身を投げますが、体が沈まず、代わりに観音様が現れ「京へ行くように」と告げます。

観音様のお告げ通り京へ行った白菊姫は、無事に彼と再会し、幸せに暮らしました。

江戸時代に「名婦」と言われる女性はこんな人?

ほかにも名婦伝に描かれた女性はいますが、上記の3名に共通する点は何でしょうか?

私の思う所、まずは神仏を信じる心や夫や恋人などへの固い「忠誠心」。

そしてそれだけでなく、その忠誠心を自ら形にする「行動力」なのかと思います。

全員、不遇な状況をただ泣いて耐えるだけでなく、能動的な行動をしているところが印象的です。

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