「冷やかし」という現在でも使われる言葉。

その語源は江戸の歓楽街・吉原で見られたある行動にありました。

それは遊女たちにとても嫌がられた行為だったのですが、その「冷やかし」と言われた行為とは?

吉原遊郭のしきたりとともに解説します!

誰でも入場自由だった吉原

吉原遊郭は「おはぐろどぶ」という堀に囲まれた、外界から隔離された区画内にありました。

中に入るには、「五十間道」というくの字に曲がった道の先にある入り口、「大門」を通るしかありません。

とはいえ、大門が開いている時間は誰でも自由に入場出来たのです。

大門が開いている時間は、午前6時から午後10時まで。

その時間帯は、客であろうとなかろうと、無料で吉原の内部を見物して楽しむことが出来ました。

遊女たちが嫌がった紙職人の「冷やかし」

このように自由に出入りの出来る場所だった吉原には、金を払って遊女と遊ぶのではなく、ただ色々な遊女を見て愉しむのが目的、という人々も大勢訪れました。

遊女にとっては、このように客になる気もない、からかい半分の人々は邪魔でしかありません。

そうした人々は「素見(すけん)」と言って嫌われました。

中でも遊女たちに嫌われたのは、吉原近くに大勢住んでいた紙職人たち。

彼らは紙の原料を水に入れて「冷やかし」ている間に、暇つぶしで吉原へ来ては遊女たちをからかったそうです。

このことから、吉原では素見の客が遊女を見てまわることを「冷やかし」と呼び、現代では「買う気が無いのに商品を見て回ること」に使われるようになりました。

吉原は「冷やかし千人、客百人」

遊女たちに嫌がられた「冷やかし」ですが、吉原に訪れる人々は圧倒的に客よりも冷やかしの方が多かったようです。

それは見出しにあるように

「冷やかし千人、客百人」

という言葉で表されました。

またこの言葉は

「間夫が十人、色一人」

と続きます。

「間夫」とは金づるとなるような客、「色」は遊女が本当に惚れた男のことを指すそうです。

この言葉から、遊郭での商売のシビアさを窺うことが出来ます。