第二次世界大戦直後まで存在していた日本の上流階級「華族」。

華族の生活は一体どのようなものだったのでしょうか?

この記事では、華族の食生活に焦点を当てて調べてみました!

上流階級なのに?以外に質素な華族の食生活

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肉より魚中心の華族たち

上流階級の華族の人々は、さぞかし豪華絢爛な食事を毎日楽しんでいたのだろう・・

と思いきや、実際は質素な食事が中心だったようです。

明治時代の、ある華族の食費内訳をみると

魚肉 百三十円

鳥獣肉 四十五円

(「明治のお嬢さま」角川選書)

とあります。

明治期になりさまざまなことが西洋化したなかで、食生活はまだ和食中心の質素なもの。

朝食に至っては一汁二菜が普通であったと、華族のお嬢さまだった蜂須賀年子の「大名華族」にも記されています。

そんな華族の食生活が西洋化していったのは、家庭教師として西洋人が住みこむようになってからのことでした。

驚くほど高い果物代。その値段なんと月50万円!?

上記のように食事内容自体は質素だったものの、やはり食べたいものにお金に糸目をつけなかった華族の人々。

なんと当時まだ珍しかったイチゴを買うために、現代の金額でひと月50万円も浪費した華族もいたのだとか。

なんと贅沢な・・でもそれほどまでにイチゴがおいしく感じたんでしょうね。

華族に猫舌が多い、驚きの理由

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極めて質素な食生活をしていた華族の人々。

そんな彼らは猫舌の方が多かったようです。

それにはれっきとした理由が。

それは、お膳所(炊事をするところ)と食事をする部屋があまりに遠かったからというものでした。

ある華族の屋敷では、炊事場から食事場所までなんと100メートル以上の距離が。

そんなに長い距離を運ばなければならなかったので、華族の人々は出来立て熱々の料理を食べたことがなかったのだそうです。

(そればかりか、「料理と言えば冷めたもの」と思い込んでいたのだと言います。)

☆☆☆

華族の人々は、庶民では食べられないような珍しい食材を口にしてはいたものの、

「食べたいものを食べたい時に食べる」

という生活ではなかったよう。

出来立てホカホカのご飯が食べられないのもさみしいですね!

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