歴史上に悪女は数多く存在しますが、奈良時代の悪女といえば「井上内親王」が挙げられます。

彼女には、義理の息子である桓武天皇との不義密通や、夫である光仁天皇を呪詛した疑いがもたれています。

そんなスキャンダラスな「井上内親王」の生涯について調べてみました!

井上内親王のバックグランド

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父親は大仏建立で有名な「聖武天皇」

井上内親王は、「いがみ」もしくは「いのえ」内親王と読み、大仏建立で有名な聖武天皇の第一皇女として生まれました。

しかし天皇の第一皇女とは言え、母親は側室の県犬養広刀自(あがたいぬかいのひろとじ)。

正室である光明皇后の生んだ子が優先して皇太子となるため、井上内親王は幼いころから恨みを持って生きてきたといいます。

存在を危険視され伊勢の斎宮に送られる

そんな井上内親王には、弟の安積親王がいました。

当時皇太子には光明皇后の子供が擁立されていたのですが、周囲は安積親王を祭り上げての反乱を警戒し始めます。

そしてその反乱の中心人物になり得る人物として最も危険視されたのが井上内親王でした。

そのために、井上内親王は伊勢の斎宮に派遣されることになります。

晴天の霹靂で天皇の皇后になる

反乱の危険分子として伊勢に派遣された井上内親王。

ところが弟の安積親王が亡くなったため、伊勢から引き戻されることになりました。

井上内親王が28才の時です。

この時周囲が頭を悩ませたのが、井上内親王の処遇です。

恨み深い井上内親王を有力者の妻にすることは、新しい反乱の種を作ることになるため避けなければいけません。

そこで夫として白羽の矢がたったのが、天智天皇の孫の白壁王です。

白壁王は昼間から酒浸りで、大らかな性格だったので、「彼なら安全だ」と太鼓判を押されたのです。

そんな白壁王との間に、井上内親王は2人の子をもうけます。

(なんと、それぞれ井上内親王が38才、45才のことでした。)

すると、この生まれた子を天皇に擁立する動きが高まり、その前段階として、なんと父親の白壁王が天皇に推しだされてしまうのです(光仁天皇)。

2人の子は不義の子?義理の息子とのスキャンダルの噂

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突然皇后となった井上内親王。

そんな順風満帆な彼女に、スキャンダルの噂が立ちます。

それは、

「井上内親王は義理の息子・山部王と関係を持っている」

というものでした。

山部王は、後に桓武天皇となる、白壁王が井上内親王と結婚する前にもうけた子です。

関係の始まりは、なんと「白壁王が井上内親王に差し出した」とも言われています。

そんなことから井上内親王と白壁王との間に生まれた二人の子も、実は山部王との間に生まれた子ではないかとも考えられているのです。

子供が生まれたのが白壁王と結婚して10年後にようやく、だったということも、その疑惑を深めるものでした。

謀反の疑いで突然葬り去られた井上内親王

そんなスキャンダルを噂された井上内親王は、突然生涯を終えることになります。

夫である光仁天皇(白壁王)を呪詛した疑いで捕縛された後、皇太子ともども謎の死を遂げることに。

おそらく何者かの陰謀により、歴史から消されることになったのです。

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