鎌倉時代にあった二度の元寇では、蒙古軍を蹴散らしたのは「神風が吹いたおかげ」と学校で教わりました。

でも大軍を蹴散らすほどの神風が二度も?

疑問に思ったので、「元寇における神風」は本当だったのか、調べてみました!

「国史大辞典」には「神風」の記載あり

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まず疑問に思われるのが、「神風が吹いたという言い伝え自体が本当かどうか」です。

ところがこれについては、日本史の基礎知識が記載されているという「国史大辞典」の「北条時宗」の欄に、きちんと記載されていると言います。

これによれば、文永十一年におきた「文永の役」、弘安四年におきた「弘安の役」ともに、「神風」によって蒙古軍を撤退もしくは壊滅せしめたのだとか。

やはり二度の元寇とも、神風が蒙古軍を退けてくれたのでしょうか?

「文永の役に神風は吹かなかった」という考察を発見

そこでさまざまな本を調べたところ、

「文永の役のときには神風は吹かなかったのではないか」

とする考察を発見しました。

それは「名門大学入試問題で知る『反』日本史」(須藤公博・著、講談社)という本の中においてです。

この本の中で著者の方は同様に「神風」の存在を疑問視し、二回の元寇が起きた時期から、その時期に大軍を壊滅するほどの暴風雨が日本に起こりうるかを考察しています。

ちなみに文永の役で蒙古軍が撤退したのは、文永11年10月20日。

現在の暦で言えば11月19日の夜です。

また弘安の役の日付を現在の暦に書き換えた日付は同著には記載されていなかったのですが、弘安4年7月なので、現在の暦では8月のことになります。

文永の役の撤退は蒙古軍の予定通り?

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それぞれの時期をみてみると、確かに弘安の役の時期は台風の時期と重なります。

鎌倉末期の書物にも、弘安の役の後にものすごい漂流物があったという記録があるとのことから、この時の神風は本物だったと考えられます。

ところが文永の役については?

上記の「『反』日本史」の中でも、統計上、晩秋の台風は日本に上陸せず、太平洋上へ移動するかフィリピンの方向へ抜けることが挙げられています。

著者の方は他にも、冬に日本で強まる北西の風を神風ととらえた可能性について考察していましたが、その程度で蒙古軍は壊滅するとは考えられず、また北西の風が強まる時期よりも早く蒙古軍が撤退していることから、

「作戦として撤退した」

と考えてよいのではと締めくくっています。

とはいえ神風は役に立った

言い伝えられているように二度の元寇が二度とも神風のおかげだったとは言い難いようですが、弘安の役の際の暴風雨は蒙古軍の壊滅に一役買ってくれたようです。

もちろん、武士の方々の頑張りもあってのことですが・・