真言立川流とは既に無くなった密教の一派で、その教派の特徴は信仰活動を「性行為」で行ったことにあります。

仏教では禁止行為としてきた性行為を認めるばかりか、積極的にすすめたというその教義とはどのようなものだったのでしょうか?

調べてみました。

真言立川流の興り

Sponsored Link

真言立川流の祖は、平安時代末期の僧「仁寛(にんかん)」と言われています。

彼は後三条天皇の皇子の護持僧(身体の護持のために祈祷を行った僧)を務めた僧ですが、謀反の疑いをかけられて伊豆に流されてしまいました。

しかしその間に、ある陰陽師に出会ったことが、真言立川流を開くきっかけになったと言います。

仁寛が取り入れた、陰陽道における性行為の考え方

仏教の世界では、僧侶たちは性行為を禁止されてきました。

しかし仁寛が知った陰陽道の教えでは、性行為は「陰と陽の和合」として肯定されていたのです。

もともと日本では、新しい命を生み出す性交は神聖なもの。

密教の「理趣経」という経典にも「すべての楽しみごとは、金剛のような不変な真実である」という一文があり、仁寛は

「性行為は人間性を高めるものだ」

という考えに至ったと言います。

立川流の信仰とは

Sponsored Link

性的エクスタシーが成仏への道

仁寛は、女性と男性が交わると「存在の二極を表す」状態になり、この状態でエクスタシーを得ることは即身成仏への道だと説きました。

これ以外に厳しい修行を必要としない立川流は庶民に歓迎され、南北朝時代には立川流の僧が後醍醐天皇に重用されたと言います。

独特な信仰方法

男女の性行為を宗教活動の中心においた真言立川流では、髑髏を本尊とし、その前で性行為を行うことを信仰の方法としました。

髑髏は信者によって墓から暴かれたりしたもので、それに金をかぶせて飾られたといいます。

立川流に続く性愛教団と、その衰退

真言立川流が一世を風靡すると、それに続いて性行為を神聖なものとして行う新たな教団が現れました。

「玄旨帰命壇(げんしきみょうだん)」です。

この宗教では摩多羅神(またらじん)という神を本尊としており、その前に鏡と灯火を置いて性行為を行いました。

このように本尊は異なりますが、性的なエクスタシーが即身成仏につながるという点では同じでした。

しかし真言立川流も玄旨帰命壇も密教の正統派に厳しい糾弾にあいます。

また真言立川流は室町幕府による弾圧も受け消滅。

玄旨帰命壇は秘密裏に続けられたものの、江戸時代の厳しい宗教統制により途絶えました。

Sponsored Link