尼将軍と呼ばれた北条政子は、家族の反対を押し切り源頼朝と結婚するほど頼朝を愛していたといいます。

その激しすぎる愛は、頼朝の浮気相手の家を襲って破壊するほどのものでした。

雨の中、家出して頼朝に嫁いだ北条政子

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北条政子が源頼朝と出会ったのは、頼朝が伊豆へ流刑に遭った時のことでした。

政子の父の北条時政は、そのとき頼朝の監視役で、それがきっかけで政子は頼朝と恋に落ちました。

当然のことながら政子の父の時政は2人の仲を反対し、政子を別の男性と結婚させようとします。

しかし政子は、その結婚の夜に雨のなか家を抜けだし、頼朝のところに身を寄せたのでした。

それほど激しい行動に政子を駆り立てさせた背景には、政子の妹が見たという吉夢がありました。

政子は妹の見た夢を信じて頼朝に嫁ぎ、実際に頼朝は将軍として日本を治めることになるのです。

ところが頼朝は、政子の妊娠中に必ず浮気

これほどまでに政子に愛された頼朝ですが、頼朝は政子の妊娠中に必ず浮気をして子供まで産ませていたといいます。

息子の頼家が生まれた時は、頼朝は亀の前という女性を寵愛していました。

頼朝は亀の前を家来の家に住まわせていましたが、ある日それを知った政子は激怒。

時政の妻の父・牧宗親に命じて、その家来の家をめちゃくちゃに破壊してしまったのです。

それを知った頼朝は激怒して牧宗親の髻を切ってザンバラにしてしまいました。

この頼朝の行為は今度は政子の父・時政を怒らせ、時政が家に引きこもるという事態に発展してしまいます。

頼朝の死後、鎌倉幕府をまとめた政子

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政子に激しすぎるほど愛された頼朝でしたが、鎌倉幕府が開かれてからたった数年後に急死してしまいます。

死因は落馬と言われています。

政子は出家し、家督を継いだ頼家の後見をしながら鎌倉幕府を支えますが、頼家の死に瀕して御家人たちと対立。

政子と父の時政は幼い実朝を将軍に立てて執権政治を開始させました。

女性の身で政治の舞台に立つなど、政子ほどの激しい人物でなければ出来なかったことでしょう。

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