戦国時代、女性や子供は政略のための道具同様に扱われていました。

その代表的な人物が、信長の妹「お市の方」です。

兄である信長に利用された、哀しい生涯・・

それでも感じさせる意志の強さをお伝えする記事です!

戦国時代の女性の役割・立場

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戦国時代、結婚は和睦・休戦・同盟・服従を表すための手段として行われました。

武将の娘や女性のきょうだいはそのための道具に使われ・・

多くの女性が戦乱に翻弄されました。

自分の意に沿わない相手と結婚することは、当たり前の時代だったのです。

そんな政略結婚をした多くの女性の中でも、最も哀しい運命をたどったといわれるのが

「お市の方」

です。

お市の方は織田信長の妹として産まれ、近江の浅井長政のもとへ嫁がされます。

信長はその時、道三死後の美濃を制覇しようとしていたのです。

そのために近隣する近江の浅井と手を結んでおく必要がありました。

しかしこの縁談は、浅井と関係の深い越前の朝倉氏からの妨害で、すんなりとはいきません。

朝倉氏は織田と犬猿の仲だったからです。

そんな経緯があったため、なんとか浅井長政とお市の方の婚姻が成立した時には、信長は非常に喜んだといいます。

本来浅井からもらうはずの結納の品を、信長から持って行ったというほどです。

お市の方と長政の夫婦仲もよく、お市の方は長政と幸せな時を過ごしたと言われています。

しかし戦国時代の恐ろしさは、ここから。

信長自身がこれほどまでに喜んだ縁談なのに・・

美濃の制圧に成功した後、妹の夫で長政をあっさりと殺してしまうのです。

再びの政略結婚に負けない、お市の方の意志

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兄である信長によって夫を殺され、離縁させられたお市の方。

再び政略の道具として結婚させられます。

信長が本能寺の変で死去した後、羽柴秀吉によって柴田勝家のもとへ嫁ぐことに決められたのです。

この婚姻により、秀吉は勝家の不満を抑えようとしました。

ところがその後、秀吉と勝家の対立が激化。

政略結婚の甲斐なく、秀吉は勝家を攻め滅ぼします。

お市の方は逃げ延びることを求められますが・・

心を決めて勝家と共に自害することにします。

「もう翻弄されない」

という意志が感じられる決断でした。

☆☆☆

信長はお市の方だけでなく、まだ5歳の幼い娘を筆頭にたくさんの子女を戦国大名のもとへ嫁がせています。

(信長の子供の数は、養子も含めて23人)

また戦国大名だけでなく、朝廷での活動のために公卿へも嫁がせていました。

戦国時代には当然のことだったかもしれない・・

でもそれぞれの女性たちの心の中は、いったいどんなものだったのでしょうか。

(英語版の記事はこちら→The tragedic life of “Ichihime”, sister of Sengoku hero “Nobunaga Oda”)

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