「忍者」というと、人並み外れた身体能力で戦う超人をイメージします。
「本当にいたのかな?」と思ってしまうほど、謎に包まれていますよね。
でも戦国時代、忍者は本当にいて活躍していたのです。
戦国時代の「忍者」の素顔にせまる!
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守られていた「忍者」・・バックについていた大寺院
「忍者」と言えば謎の集団。
あまり世俗的なイメージはしませんよね。
でも忍者は、その能力を買われ、いつも大きな勢力に守られていたのです。
例えば有名な忍者と言えば「伊賀」と「甲賀」。
「伊賀」は東大寺が、「甲賀」は比叡山延暦寺が庇護していました。
忍者は生活維持のために盗賊などの犯罪行為もしていたのですが、これらの大寺院がバックについていたために守護大名や国司などの国家権力から守られていたのです。
忍者の役割は「情報伝達」「情報操作」
大寺院からも守られるほどの忍者という存在。
彼らのどんな能力がそれほどまでに重要視されていたのでしょうか?
それは、「情報伝達力」とそれを活かした敵のかく乱にありました。
有力武将や権力者たちは、重要な情報を「キャッチ」し、それを「伝達」するのに忍者の力を借りていたのです。
また敵に誤った情報を流し、同士討ちや敵陣を混乱に陥れるなどに活躍しました。
その際身に着けていたのはドラマで使用されるような装束ではなく、行商人や旅芸人、巫女など旅を前提とした職業の恰好だったそうです。
有力武将の起用した忍者集団
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織田信長
織田信長は「鷹」を使う忍者集団を従えていたといいます。
それだけでなく自身も忍術に長けていたのだとか!?
徳川家康
忍者を重用し、服部半蔵を忍者総帥に指名して江戸に屋敷も与えたといいます。
その場所が現在の東京都千代田区にある「半蔵門」です。
武田信玄
武田信玄はくノ一(女性の忍者)の養成に余念がなく、彼女たちに巫女の変装をさせて情報収集にあたらせました。
その他の武将
その他にも、今川氏輝は「鳥波(すっぱ)」、北条氏は「乱波(らっぱ)」、上杉謙信は「担猿(のきざる)」と呼ばれる忍者集団を起用していました。
ただし、豊臣秀吉には忍者と関係を持ったという記述は残されていません。
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