戦国時代の戦での戦法をガラリと変えてしまった「鉄砲」。
そんな「鉄砲」にまつわる4つのトリビアをお伝えします!
鉄砲の日本上陸は偶然の産物だった!
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鉄砲が日本に伝わってきたのは1543年、種子島でした。
もともと日本に広めようとして持ち込まれた訳ではなく、偶然種子島に漂着したポルトガル船に火縄銃が載っていたのが、日本での鉄砲の歴史のはじまりです。
島主の種子島時たかがそれに興味を示し、家臣に製造方法を研究させて国産に乗り出しました。
もし現代なら、種子島さんは特許をとってぼろ儲け出来たかもしれませんが・・
戦国時代の日本に知的財産の保護法はなく、あっという間に銃の生産方法は日本各地に広まりました。
なかでも大阪の堺は大量生産に成功。
鉄砲の一大生産地として確立していきました。
鉄砲隊のデビューは「長篠の戦い」ではない!?
鉄砲隊が合戦に登場したのは、織田信長が武田軍を滅ぼした「長篠の戦い」というイメージが強くありませんか?
ところがそれよりも25年も前に、実は鉄砲隊はデビューしていたのです。
それは1550年の洛中の戦いと呼ばれる戦で。
三好長慶の配下が細川晴元率いる鉄砲隊によって攻撃され戦死した、という史実が残っています。
それでも長篠の戦いが有名なのは、織田信長の鉄砲の使い方がそれまでの常識を超えていたから。
信長は「遠くまで飛び殺傷能力も高い」という鉄砲の利点を生かし、鉄砲を戦力の中心に変えました。
それに伴って戦国時代の戦法は個人戦から集団戦へと変化。
甲冑も革製から弾丸の通過しない鉄や銅製へと変えられました。
鉄砲は女の武器だった?「男が鉄砲なんて恥ずかしい・・」という戦国時代の常識
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戦が続く戦国時代はいつも人手不足。
女性も戦いに参加していたといいます。
でも頭数を揃えればいいという訳ではありませんよね。
力も体格も、男性には当然劣ります。
そんな女性たちに任せられたのが「鉄砲」でした。
戦国時代は、女性も戦場で勇敢に戦っていたのです。
(詳細はこちら→ 女性活躍は戦国時代から始まっていた!女だらけの鉄砲隊など)
でも「鉄砲は女性の武器」というイメージのせいで、鉄砲隊を任せられることは不名誉なこと・・
と、武将の間では思われていたようです。
最強の武器、鉄砲の3つの弱点
戦国時代の合戦をがらっと変えてしまった鉄砲にも、弱点がありました。
それは「水に弱いこと」「連射できないこと」。
水に濡れてしまうと火縄も火薬も使い物にならないので、雨が降ったら大変です。
鉄砲隊を上手く活かせるかどうかは天気次第だったのです。
そして「連射できない」という欠点。
これについては信長が「鉄砲隊を三列に配置し交代で撃たせる」という方法でカバーしていますが、弾のいれかえにはかなりの時間を要したようです。
一回で仕留められなければ後が危うくなってしまう、というのは大きな仇となりました。
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