「あじまりかん」は古代神道の祝詞で「何だか分からないけど唱えれば良いことがある!」と話題になっている詞。
私は日本神話が好きなので、「あじまりかん」について調べてみようとしました。
ところが私の第6感が言うのです。
「あじまりかん」について調べてはいけない。
この理由について、「あじまりかん」を効果的に活用したい方のために、ここでシェアしたいと思います。
私の心に降ってわいたメッセージなので、信じるか信じないかはあなた次第(・∀・)
「あじまりかん」にはどんな力があるのか?「あじまりかん」という言葉が持つ役割
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ネットでよく見かけられるのが
「あじまりかんを唱えていたら、こんな良いことが起こった~!」
という声。
こんな情報を見ると、まるで「あじまりかん」は全ての願いを叶える魔法の呪文・・と思ってしまいそうです。
でも「あじまりかん」は、「願いを叶える魔法の呪文」では無いのです。
「あじまりかん」は、「あなたの意識をあなたの心の上に戻す詞」です。
意識は放っておくと、
他人と比べたり
自分を責めたり
過去をほじくったり
現状を嘆いたり
します。
でもそうすると、意識はどんどん心から遠ざかり、自分の心の願いを実現する力がどんどん弱まっていきます。
だから、自分が意図する世界を創る(願いを叶える)ためには、意識が心の上にある必要があります。
その「意識を心の上に戻す」スイッチとなるのが「あじまりかん」なのです。
大切なので繰り返します。
「あじまりかん」と唱える→願いが叶う
ではなく、
「あじまりかん」と唱える→あなたの意識があなたの心に戻る→意図する世界を創る力が、あなたに戻る(願いが叶う)
のです。
なぜ「あじまりかん」の意味を調べてはいけないのか
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こういうわけで「あじまりかん」は、さまよう意識を「いまここの自分の心」に戻す詞。
いうなれば「カーナビの現在地ボタン」のような役割の詞。
その詞の意味を調べてはいけないのはなぜなのでしょうか?
それは、「あじまりかん」という詞を意味で解釈すると、意識がその意味をさまよい始めるからです。
せっかく意識を心に戻すための詞なのに、
「あじまりかん」と唱える
→「あじまりかん」とは、こんな由来で・・
→こんなにすごい詞だから、そりゃあ力があるでしょ!
→こんなに唱えてるのに、なんで何にも起こらないの?
なんてことに、頭の中がなるからです。
同様に、「あじまりかん」と唱えてこんな良いことがあった!!という誰かの経験も、あまり頭に入れないほうが良さそうです。
あじまりかんと唱えれば良いことがある・・良いことがある・・良いことがある・・
となってしまえば、意識は心からどんどん遠ざかってしまいますので。
☆☆☆
というわけで、「あじまりかん」を、誰かと自分を比べてしまっているとき、悪い妄想を頭で繰り広げてしまっているとき、過去にはまりこんでしまったとき・・
そんな時に、唱えてみましょう。
意識が現在地に戻ってきます。
ちなみに「あじまりかん」は私にとって、何の意味も物体も出来事も連想させないけれど「そこに物事のすべてが含有されている」ということだけ感じさせる詞。
そんな無意味文字列、なかなか作れるものではありません。
太古の昔この詞を作ったどなたかに、感謝します。
はい、ではこのあたりで。
「信じるか信じないかは、あなた次第(・∀・)」
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