朝鮮出兵とは、豊臣秀吉のもとで朝鮮半島へ出兵した二度の戦い(文禄の役・慶長の役)のことを指します。
この記事では、朝鮮出兵で先鋒をつとめた「小西行長」という武将について、生涯をわかりやすく要約しました。
小西行長のプロフィール
小西行長(生年不明~1600)
出身国:和泉国(?)
小西行長は、堺で唐物薬種商をいとなんでいた豪商・小西隆佐の息子だと言われています。
はじめ宇喜多氏に仕え、その後豊臣秀吉に仕えました。
九州平定や肥後一揆の鎮圧に活躍し、1588年には肥後半国24万石の大名となっています。
居城は宇土城です。
行長は熱心なキリシタンでもあり、洗礼名をアウグスティヌスといいました。
二度の朝鮮出兵では、肥後の残り半分を治める加藤清正とともに先鋒をとります。
1600年の関ヶ原の戦いでは西軍に属して戦い、やぶれて捕えられ、京で首をはねられました。
ドロドロの朝鮮出兵・・清正との足の引っ張り合い
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朝鮮出兵で先鋒をとっただけでなく、朝鮮や明との交渉も引き受けた小西行長。
しかし一方で、同じく先鋒をとった加藤清正とはドロドロの足の引っ張り合いもしていました。
清正となぜそんなに仲が悪かったかというと・・
領土を隣り合わせていていつも諍いが絶えなかったことと、行長が薬商の息子であることを清正の部下たちが馬鹿にしていたからだそうです。
そのため、朝鮮出兵ではどちらが先に城を落とすかなどを競ったといいます。
またそれだけに飽き足らず、清正の上陸に関する情報を朝鮮に流し、暗殺も謀ったとか。
(朝鮮側が罠だと思い信じなかったので、事なきを得たそうです。外国との大きな戦いで、まさか味方を売るようなことをするなんて、思いませんもんね)
半面、バテレン追放令で改易になった高山右近をかくまうなど、同じキリスト教徒には親身になったようです。
私はこのギャップが、かえって行長を恐ろしく感じさせます。
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