江戸幕府8代将軍「徳川吉宗」といえば、ドラマ「暴れん坊将軍」でも描かれているように名君のイメージ。
実際に功績の高い将軍でもあったようですが・・
吉宗と他の歴代将軍の違いとは、いったい何だったのでしょうか?
徳川吉宗の生涯から「リーダー・成功者に最も求められる素質」を考えてみました!
吉宗が「歴史に残る名君」になるために必要だったこと
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8代将軍徳川吉宗は、「享保の改革」を行った人物で有名です。
目安箱の設置
町火消しの制度
貧しい人々のための診療所を作る・・
など、多方面に業績を残しています。
財政面では成果を残せませんでしたが、それでも
質素倹約を自ら率先垂範し
武士道を重んじ
社会や文化にも関心を持つ
そんな吉宗は、確かにリーダーとして大変バランスのとれた人物のように思えます。
でも、吉宗を稀代の名君にしたのは、こういった内面的なことだけではないのです。
吉宗が名君になるために必要不可欠だったこと・・
それは・・
「体が丈夫だったこと」
まさにこれこそが、吉宗が将軍になり、リーダーシップを執る上で最も大切なことだったのです。
「え!?そんなこと?」とお思いでしょうか?
そんなことはありません。
成功者の成功原則をまとめた「7つの習慣」というベストセラーのなかで、著者のスティーブン・R・コヴィーが言っていました。
成功者にとって肉体は「大切な資源」である、と。
成功をおさめる者は、その貴重な資源のメンテナンスを常に怠らないものなのです。
「母譲りの体の丈夫さ」でチャンスを手にした吉宗
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徳川吉宗は、もともと紀州徳川家の四男として生まれました。
しかも母親は農民出身です。
紀州徳川家の跡継ぎにもならないはずの人物でした。
しかし相次ぐ兄の死。
さらには将軍家の跡継ぎも、次々に亡くなっていきます。
これだけ見ると、吉宗はずば抜けた幸運の持ち主だったのか?
それとも手を回したのか(実際に、将軍候補の暗殺説もあります)?
なんて考えてしまいます。
でも、紀州徳川家や将軍家の跡継ぎが若くして亡くなっていったのは必然であったと、私は考えます。
というのも、徳川家の遺骨を調査した人類学者の鈴木尚氏によれば、徳川家の遺骨は徐々に貴族化がすすみ、どんどん弱々しくなっていったとか。
戦国時代が終わり体を使うことが少なくなったことと、生活が貴族のようになったことが原因でした。
それが遺伝していけば、病弱になっても当然です。
事実、歴代の将軍には持病や障害を疑われる人物も多くいます。
一方で吉宗は農民の母を持ち、その丈夫さが遺伝したのでしょうか。
また武芸や鷹狩を好み、自分を律する生活も功を奏したかもしれません。
吉宗は恵まれた丈夫さで将軍の座を勝ち取り、その体力を活かして改革を実践していったのでした。
おまけ「吉宗が尊敬する意外な人物」
名君として尊敬された吉宗。
実は意外な人物を尊敬していました。
その人は、「犬公方」として知られる「5代将軍徳川綱吉」。
吉宗とはひきかえに「暗君・ダメ将軍」のイメージが強い綱吉ですが・・
実は吉宗と同じように、「幕府の立て直し」に奔走した名君だったのです。
綱吉の行った改革は新井白石の時代に白紙にされていますが、その多くが吉宗によって元に戻されています。
「綱吉=ダメ将軍」のイメージは、実は作られたものだった可能性が高いのです。
☆☆☆
どんなチャンスをつかむにも、健康あってこそ。
あなたが成功者になりたいなら、すぐにでも出来る簡単な努力はまず体を鍛えることかもしれませんね!
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