江戸時代ごく初期の芸術の第一人者と言えば「本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)」という人物が挙げられます。
その芸術分野における影響力の大きさは「日本のダ・ヴィンチ」と呼ばれるほど。
埋もれていた画家「俵屋宗達」の才能を見出したのも、本阿弥光悦だったのです。
ここではその本阿弥光悦と、俵屋宗達について解説します。
あらゆる芸術に秀でた「本阿弥光悦」
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本阿弥光悦は、刀剣の鑑定や研磨を仕事とする家に生まれました。
その芸術における才能は限りなく、
茶、書、陶芸
絵画、蒔絵、造園
など・・
多岐にわたって独創的な才能を発揮しました。
この多彩さが評価されて徳川家康とも親交があり、大坂の陣のあとに家康から京都北部の鷹ヶ峯に領地をもらったほどです。
光悦はここに一族や仲間とともに移り住み、一種の芸術村をつくりました。
剣豪の宮本武蔵も、この光悦の村に滞在したことがあると言われています。
光悦に見出された町人画家「俵屋宗達」
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「俵屋宗達」は、学校の美術の教科書にも載るほど、現代では有名な画家です。
それでも宗達は、町人出身ということもあり、当時は才能を評価してもらう機会がなかなか得られませんでした。
そんな時、本阿弥光悦と出会った宗達。
光悦に絵の才能を認められ、ともに芸術活動に携わるようになります
そして、その才能を世に出すきっかけをつかみます。
代表的な作品は「風神雷神図屏風」。
これは先にも書いた通り、美術や歴史の教科書に必ず掲載されています。
初めは評価されなかった宗達も、その後は朝廷に才能を認められるほどになりました。
ところが・・
これほどの画家でありながら、その生涯についてはほとんど情報が残っていません。
生没年ですら不詳で、かろうじて本阿弥光悦とのつながりが明らかにされている程度です。
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