江戸幕府・9代将軍「徳川家重」は名君と言われた徳川吉宗の長男でありながら、
「小便公方」という不名誉なあだ名をつけられた将軍です。
でも本当は「徳川家重」はどのような人物だったのでしょうか?
評価が低いのは、不幸な偶然が重なってしまったからかもしれません。
9代将軍「徳川家重」のこれまでの評判
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言語不明瞭な「小便公方」・・酒や女性に溺れた無能な将軍?
「徳川家重」と検索すると、
「小便公方」
「言語不明瞭」
「酒や女に溺れる」・・
など、大変不名誉な言葉がたくさん出てきます。
「頻尿」で「喋らない」ということから、「女性説」まで飛び出す始末です。
でも女性説はともかく、頻尿だったり脳性麻痺で言葉が明確に話せなかったのは事実のよう。
それだけでなく、大奥での酒の量も確かに多かったのだとか。
・・やっぱりどうしようもない暗君?
でも少し、違った角度から徳川家重の行動を捉えなおしてみましょう。
全て「脳性麻痺」という病気のせいかもしれない
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「小便公方」と呼ばれてバカにされていた徳川家重。
実は全部病気のせいだったかもしれません。
徳川家重が「脳性麻痺だった」ということは、遺骨を使った歯の調査や普段の行動などから、ほぼ確実だと推測されています。
脳性麻痺はその麻痺の部位がどこかによって、出る身体症状は異なるといいますが、
「言語不明瞭」
「頻尿」
は麻痺のせいであったと考えられます。
また脳性麻痺であれば日常生活で体を動かせないほどの痛みを伴うことも多いのだとか。
「酒をたくさん飲んだ」というのも、体の痛みを和らげるためだったのかもしれません。
ところが病気に対する知識も理解もほとんど無い時代。
自分の言葉で弁解することも出来ませんから、甘んじて「無能」という評価を受け入れていたかもしれないのです。
実は家重は「切れ者」だった!?
身体の障害により「無能」の烙印を押されてしまった家重。
それでも、実は「喋れないだけで、頭は良かったのでは?」と思われる事実があります。
それは、家重が家臣の才能をよく見抜いているという点です。
重用した田沼意次をはじめ、勘定吟味役(幕府の財政や民政を監査する役職)に適任者を配置しよく機能するようにしたと言われています。
実際には能力があったものの、身体的な症状への偏見と、重用した田沼意次の悪評が、家重への評価を実際よりも低くしたと考えられます。
実は田沼意次も、不当に低く評価されている不遇の人物の一人。
歴史として言い伝えられていることの中には、捻じ曲げられていることが、たくさんあるのだと思います。
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