「朱印船」とは、江戸時代の初期に幕府から「朱印状」と呼ばれる許可証をもらい、東南アジアの国々と貿易を行っていた船のことです。

それらの船が行っていた貿易を「朱印船貿易」といい、幕府や貿易家はそれによって多大な富を得ました。

この記事では、そんな「朱印船貿易」について、活躍した地域や輸出品、鎖国との関係を分かりやすく説明します!

豊臣秀吉が始め、徳川家康が発展させた朱印船貿易

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朱印船貿易は、豊臣秀吉が貿易許可証として「朱印状」を商人に与えたことが始まりでした。

許可証が「朱印状」と呼ばれるのは、そこに赤い朱の印が押してあったことに由来します。

その後、徳川家康が征夷大将軍に任命されてから、1604年に江戸幕府として正式に朱印船貿易が始まりました。

出来たばかりの江戸幕府は、その収入を増やすために商人に朱印状を与え、貿易の利益の一部を幕府に納めさせたのです。

江戸幕府が発行した朱印状の数

朱印船貿易はその後30年に渡り行われましたが、その期間に発行された朱印状の数は300通以上と言われています。

朱印状を受けた人の中には、角倉了以(すみのくらりょうい)や茶屋四郎次郎、末吉孫左衛門など、京都・大阪・長崎などの豪商がいました。

朱印船が活躍した地域

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朱印船は、主に東南アジアの台湾、マカオ、カンボジア、ベトナム、タイなどで活躍しました。

それらの国には多くの日本人が住み着き、「日本人町」が作られました。

日本人町で活躍した日本人としては、特にタイの国で高い地位の役人にまでなった「山田長政」が有名です。

貿易の輸出品・輸入品

朱印船による貿易で主に日本から輸出されていたのは、銀・銅・刀などでした。

また海外からの輸入品としては、生糸やぜいたく品などがほとんどでした。

「鎖国」による朱印船貿易の終焉と、鎖国後の貿易

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各地に日本人町を作るほど栄えた朱印船貿易も、幕府が鎖国政策を取り始めたことで全て禁止されるようになります。

幕府が鎖国政策をとり始めた理由

幕府が鎖国政策を取った理由は、一般的に二つのものが挙げられます。

一つ目に、キリスト教の布教を食い止めるため。

二つ目に外国との貿易の利益を幕府が占有するためだと言われています。

鎖国の完成とその後の貿易制限

鎖国政策は徐々に厳しくされ、三代目将軍・徳川家光のころには、日本人が海外へ出国することだけでなく、海外に居住する日本人が帰国することも禁止されるようになります。

さらに1637年に九州のキリスト教徒たちが起こした反乱「島原の乱」が起こると、日本にやってくる外国船の国籍も制限するようになります。

1639年には、オランダと中国(清)の船以外日本にやってくることを禁止されます。

そして貿易は長崎の「出島」という地区に限られ、この出島だけが外国の文化や物が入ってくる窓口となりました。