学校の授業で習う「菱垣廻船(ひがきかいせん)」と「樽廻船(たるかいせん)」。
さらっと習うので、両者の違いや特徴が頭に入っていない人も多いのでは?
ここでは江戸時代の海上輸送船「菱垣廻船」と「樽廻船」について、分かりやすくまとめてみました!
菱垣廻船の特徴
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「廻船」というのは江戸時代の海上輸送船を指します。
大坂から江戸へさまざまな物を送るために、まず発展したのが「菱垣廻船」でした。
この廻船は、泉屋平右衛門が始め、木綿や油・綿・醤油などが運ばれました。
「菱垣」廻船という名前の由来にまつわる誤解
「菱垣」廻船と呼ばれた理由は、長年「荷が落ちないように竹でひし形に編んだ垣を作ってあったから」とされていましたが、これが誤解であったことが近年分かっています。
本来の理由は、船の左右にある「垣立(かきだつ)」という囲いの部分に、装飾として木製の菱組格子が組んであったから。
大坂町奉行の記録にこれを示す記述があることから、こちらの説が正しいと考えられています。
「樽廻船」の特徴
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「樽廻船」とは、積み荷を関西で生産された酒に特化して、大坂から江戸へ出された船を指します。
菱垣廻船より遅れて登場し、当初はその速さから「小早(こばや)」と呼ばれていました。
その後「樽」を積んでいることから「樽」廻船と呼ばれるようになります。
樽廻船の速さの理由は、積み荷が単一であること。
単一商品のため積み込みを効率的に行うことが出来、輸送の時間を短縮することが出来ました。
そのおかげで、他の荷物も安い運賃で輸送できるというメリットが生まれます。
次第に酒以外の荷物も運ぶようになり、菱垣廻船と競合するようになりました。
菱垣廻船の衰退と、それに代わった樽廻船
安い運賃でより早く積み荷を輸送することが出来る樽廻船は、次第に菱垣廻船にとって代わるようになります。
一時は両者の競合を避けるために輸送する物品を制限する協定が結ばれましたが、なかなか守られませんでした。
そうする内に、天保の改革で株仲間が解散となり、菱垣廻船が衰退。
最終的には菱垣廻船は廃止されることになってしまいます。
残った樽廻船は江戸時代の後も、明治の中期まで続けられました。
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