「畜妾」とは「ちくしょう」と読み、江戸時代に武士が妻と妾を同居させて養うことを意味しました。
現代では妻以外の女性を囲うなんて問題外。
でも江戸時代には、「畜妾」「妾を何人も持つこと」が賞賛に値する行為だったのです。
江戸時代、妾を持つ男性はなぜ賞賛されたのか
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妻以外に生活の面倒を見てあげる女性のことを「妾(めかけ)」といいます。
現代で言う愛人のような立場の女性ですが、もちろん存在を公にすることなんて出来ません。
ところが江戸時代は、男性が妻以外の女性を囲い生活の面倒を見てあげることは、むしろ賞賛されることでした。
それは、「妾を囲う」ということが
その男性が家業を繁栄させているという証である
というだけでなく、
「血筋を多く残す」という家の目的を達成するためのもの
だったからです。
親も公認した「妾」というポジション
妾を囲うことが男性のステータスであった江戸時代では、女性が妾であることも特に恥ずべきことではありませんでした。
そもそも妾になるためには、妾の親元から面倒を見てくれる男性に対して「妾請状(めかけうけじょう)」という契約書を差し出さなければいけません。
つまり「妾になる」ことは、両親も認めていたということ。
契約を取り交わして「奉公に出す」ことと大きく変わりなかったのです。
武士は妻妾同居、商人は妻妾別居
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現代の感覚で言えば、妻と愛人が同居するなんてありえないこと。
ですが江戸時代の武士は、基本的に「妻妾同居(=畜妾)」が一般的でした。
このことは、正妻とたくさんの側室が同居する「大奥」を思い浮かべると分かりやすいのですが、将軍に限らず最下層の武士でも、妾を囲う場合は妻と同居が常識でした。
結婚式に値する、妾の「ひろめ」
武士が妾を家に同居させる際、その事実を周知徹底するために行ったのが「ひろめ」です。
妾として囲うことは妾請状という書類で証拠に残されますが、他に同居する家族や奉公人にも「これから同棲する」ということを知らせました。
商人は妻に遠慮して別居・・家付き妻が男を囲う場合も
一方で妾を囲う商人は、妻と別居させることが一般的でした。
それはほとんどの豪商の当主が「婿養子」という手段をとっていたため、家付きの妻に頭が上がらなかったからです。
また妻の方も、家付きの場合は夫の他に男性を囲うこともあったといいます。
☆☆☆
このように、現代では考えられない江戸時代の妾に関する常識。
ところが女同士の嫉妬は、今も昔も変わらなかったようです。
女心に常識は関係無いんですね!
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