現代の日本では男性のみが演じている歌舞伎。

ところがもともとは「かぶき躍」と言って、「出雲阿国(いずものおくに)」という女性がはじめた女性芸能のひとつでした。

ではこの「出雲阿国」とはどのような人物だったのでしょうか?

またどのようにして、女性の芸だった歌舞伎が男性だけのものになったのでしょうか?

調べてみました。

京を熱狂させた謎の巫女「出雲阿国」

出雲阿国とは、安土桃山時代から江戸時代の初め頃までに実在した人物で、

「出雲」

という名前が示すとおり「出雲大社の巫女であった」と伝えられています。

ところがこの説はあくまでも伝説的なもの。

実際の彼女の出自については分かっていません。

ただし少なくとも、京の町で躍った阿国たちの踊りが大好評だったのは事実で、盛況な様子が絵画にも描かれているほどです。

阿国は美女だった?実は・・

一世を風靡した出雲阿国のかぶき躍。

阿国もやはり魅力的な、美しい女性だったのでしょうか?

ところが彼女についての記録、1603年4月の「当代記」にこんなものがあります。

この頃、かぶき躍と云うこと有り。これは、出雲国神子(いずものくにのみこ)女

名は国、但し好女に非ず 仕出し、京都え上る。

(この頃流行っているかぶき躍。これを踊っているのは出雲の国の巫女(お国という女性だが、いい女ではない)は、京都へ上った。)

辛辣な記述ですが、出雲阿国は外見的にはそれほど魅力的では無かったようです。

やはり芸人としての出雲阿国が人気だったのでしょう。

阿国のあとに出現した遊女歌舞伎

阿国は京都で人気となった後、全国で芸をして廻ります。

ところが阿国の踊りは時とともに人々に飽きられ、桑名(今の三重県)や清州(今の愛知県)の興行では

「見あき申候(みあきもうしそうろう)」

という冷ややかな評価が下されるようになりました。

その後、江戸城でかぶき躍りを披露したとありますが、阿国の活動の記録は消えていきます。

その代わりに始まったのが、京都の遊女たちによる「遊女歌舞伎」です。

佐渡島正吉という有名な遊女が音頭をとり、多くの遊女たちが鴨川の河原で自分の魅力を観衆に見せつけて踊りました。

男性たちはその踊りを見て大変興奮したといいます。

江戸幕府による「遊女歌舞伎禁止令」その後、成人男性だけの歌舞伎へ

遊女たちが踊った遊女歌舞伎は、瞬く間に全国へ広がりました。

ところが興奮した男性たち同志によるケンカや刃傷沙汰のせいで、江戸幕府は遊女歌舞伎に対する規制を強めていきます。

同時に、若い男性たちによる「若衆歌舞伎」も、同じ理由で取り締まられるようになります。

代わりに許されたのが成人男性のみによって行われる「野郎歌舞伎」で、その後江戸時代をかけて発展していきました。