歩く姿から色っぽかったと言われる江戸時代の花魁。
その秘密は、「下着」にありました。
一枚の布を巻きつけただけの下着を身につけることで、所作に色気がにじみ出たのです。
花魁の身につけた下着「湯文字」とは
江戸時代、吉原の花魁たちが身につけた下着を「湯文字」といいました。
湯文字とは、もともと平安時代の女官たちが身につけた「巻きスカート」のようなもの。
一般の女性も使っていましたが、普通はヒモで落ちないようにきちんと縛り止めていました。
ところが吉原で流行った湯文字は、ヒモがなくただ腰のあたりに布を巻いただけのもの。
そのため乱暴に動くとすぐに落ちてしまいそうになるので、花魁たちは股を開かずに小股でしずしずと歩くようになったのです。
この所作がいかにも艶っぽくて美しく、花魁たちの魅力をさらに増したのでした。
「湯文字」は遊女の最後の砦
さて、この「湯文字」は遊女の魅力の源でもあり、男心をそそるための最大の道具でもありました。
吉原の遊女たちは、客と過ごす時でも簡単には湯文字をとらなかったといいます。
つまり湯文字は遊女たちの心の砦。
湯文字を取り去るのは、遊女たちが本当に心を許した時だったのです。
客も喜ぶ「裸寝」
湯文字を取り去り、素っ裸で客と過ごすことが
「遊女たちが心を許した証拠」
だということを客も知っていたので、客も遊女が裸寝することを大変喜びました。
道家斉一郎氏の書いた「売春婦論考」によれば、売れっ子の遊女の条件は第一に「鳴女」であること。
第二に「裸寝」でした。
ちなみに「鳴女」とは「声がすごい演技派」だということ。
「裸寝」も「鳴女」も、客に「自分が特別である」と思わせるテクニックでもあったのです。